totteruです。
長く病気をしているので、「大丈夫?」と聞かれた回数はとても多いです。
全く自慢にはなりませんが。
色々な人がそう聞いてくれます。
本当に親身になって心配してくれる人から、
素直に「大丈夫じゃない。しんどい」と答えるとキレ出す人まで…。
それはさておき、少し考えてみると、この「大丈夫?」という質問に答えるのは、
実は意外と難しいことであることに気付きます。
というのは、この語の定義が明確でないからです。
どの人が、どの状況で用いるのか、によって「大丈夫」か否かの基準は大きく異なります。
私もへそ曲がりなので、ある一時期は「大丈夫?」と聞かれると、
「大丈夫の定義による(から何とも言えない)」と答えていました。
こんな病人は嫌ですね。
それでも、「大丈夫」という語は、かなりの幅を持つ言葉で、それ故うまく遣うのが難しい、と、やはり考えてしまいます。
あまり深刻に考えずに、気軽に聞いて下さる人が多いのでしょうが、
私は、極力遣わないようにしています。
なるべく、別の、具体的な表現に言い換えるように心がけています。
と言うのは、健康な人と、病人(勿論、精神疾患者以外も)では、「大丈夫」の指す内容が違うからです。
曖昧な質問をぶつけると、しんどくなってしまう人もいます。
私もそうです。
病気の範囲内ではあるけれど、つまり、全くの健康体ではないけれど、何とかやっていけるよ、
という「大丈夫」もあるのです。
下手に「大丈夫」と答えて、健康な人のペースで動かされたりすると、命にかかわります。
私も、希死念慮が出て遺書を書き、首に紐を巻き付けて…
というところまでは経験がありますので、
うつ状態の極度の辛さを持て余して、「もう死にたい」とか、
「死ねば「大丈夫」になれるな」と思う気持ちが良く分かります。
自死の結果の「大丈夫」は、多くの人が聞いてくれる「大丈夫?」とは全く意味が違いますよね。
続いては、疑問文の「大丈夫?」ではなく、
「大丈夫!」という肯定文の激励や、決めつけについても考えてみます。
私個人の話をすると、「大丈夫だ」と決めつけられると、
今のしんどさを完全に無視されたかのように感じてしまいます。
「しんどくても、〇〇だから大丈夫」のようにせめて言ってもらえれば、
つまり、根拠のある言葉かけならば嬉しく、励ましも「身に付く」感じがします。
「しんどい」部分の話をしっかり聞いて共有してくれれば、
一時的にでも病気という重荷を負うのを手助けしてもらえますし、
病気という暗い森の中を一緒に手を携えてさまよってもらえますので、
「さあ、大丈夫になってやるぞ」という前向きな気分になれなくもないですが、
「とにかく大丈夫だ」と言われると、
「あなたは私の病気の何を知った上で言っているの?」と聞きたくなってしまいます。
それに、「とにかく大丈夫だ!」と決めつけたがる人ほど、
あくまで私の経験上の統計ですが、
病人の心配をしていません。
「大丈夫」だと決めつけて病気の話題を終わらせ、自分の用事をしたいのですね。
そういう人は、意外に多いように思います。
以上、少し嫌な感じの終わり方ですが、
気候が良くなってきて「大丈夫」度合い上昇中のtotteruでした。