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A Letter to You:或いは哀しい近況報告

親愛なる君へ

僕は、君が誰であるのかをまだ知りません。それでも、誰だか分からない君に宛てて、渾身の力で手紙を書きます。僕はこれからも生きていくけれども、つまり、すぐに死ぬ気は微塵もないけれども、今の僕が、今、生きていることを、ここに書くことなしに、先に進むことができないことを知っています。

少し君の時間を頂戴したいのです。そして、僕の声に耳を傾けてほしいのです。

僕は、君に話を聴いてほしいのです。他の誰でもなく、君に聴いてほしい。でも、できることなら、勝手だけれども、僕の話を聴き終わったら、僕の話にコメントせずに、君のいつもの落ち着いた笑顔で「大変なんだね」とだけ言って、僕を抱き締めて下さい。できるだけきつく、ぎゅっと抱き締めて下さい。多分、僕は泣き出してしまうでしょうけれど、それでも、しばらく抱き締めていて下さい。僕は、最初のうちは甘えた声を出して、つまらないことを話し続けるでしょう。話半分以下で聞いてくれるのが適当だと思います。

ものの数分で、僕は眠ってしまうでしょう。希望的観測ですが、本当にすぐに、情けない顔をして口を薄く開けたまま、眠りに落ちてしまうはずです。

ここまで書いてきて、僕は、君が、僕の恋人の女性であることに改めて気付きました。僕は、君を、母性として表象して搾取するつもりでは決してないのだけれど、やはり君の胸に抱かれて、勝ちも負けもない世界に遊び、君の前でこそ張りたい見栄を、君の前だからこそかなぐり捨てたいのです。はっきり言うのはとても勇気が必要だけれど、やはり、言わなければ伝わらないので(言っても伝わらないでしょうが)、この恥ずかしい告白こそが格好いいのだと懸命に勘違いして、君に言います。

君の子供にして下さい。

君の子供にして下さい。

もう一度言います。

君の子供にして下さい。

自分で言うのはとても淋しいのだけれど、他の誰も言ってくれないので、自分で言いますが、この10年以上、僕は本当によくやってきたと思います。すごく頑張ってきた。自分の体調が悪いのに、それでも治療に専念できる環境ではありませんでした。母が癌で闘病して亡くなり、その後、父と弟に無料家事要員として、自殺を考えるまでこき使われました。何度も彼らに抗議をしました。僕は病人で障害者なのだ、と。家事をするために家にいるのではなく、働きに出られないから止むを得ずに家にいるのだ、と。

でも、彼らは結局取り合ってはくれませんでした。父は「家にいるのだから、家事をすればいいじゃないか」と当然のことのように言いました。「家事をすれば“いい”」というのは、どういうことですか?誰にとって、どう“いい”のですか?少なくとも、私には何の“良さ”もありませんでした。

彼らに使われていた間、僕は夜になって寝床に入るのが嫌で嫌で堪りませんでした。確かに、彼らに押し付けられた家事を全て終えたから、ようやく眠ることができるのですが、でも、横になって、寝入ってしまえば、必ずまた朝が来ます。朝になれば、家事をさせられるだけの一日がまた始まってしまう。僕が、病気をおしてワンオペ家事をしていると、その段取りが彼らの思った通りではないと怒られたり、訳の分からない思い出話に付き合わされたりするだけの、糞ほどの価値もない一日がまた始まってしまうのです。それが嫌で、本当に、死ぬこと、死んで楽になることしか考えられなかった。

結局、追い詰められて希死念慮が出てしまい、2度入院しました。彼らに入院させられました。入院中、主治医立ち会いの下、家事分担を決めて、一覧表にしましたね。でも、誰もそれを守らなかった。

何度も彼らに話し合いを要求しました。でも、話し合いに応じる必要をすら感じていない人たちが、僕の家族だったのです。僕の家事負担が大き過ぎるから、少しでも協力してほしい、と手紙も何度か書いたけれど、手紙の文章構成が非論理的だ、と添削するだけだったり、そもそも読まずに何日も机の上に放置して、ほこりをかぶってしまったのを見かねて僕が片付けたこともありました。

彼らに使われるのがあまりに辛かったので、大学に戻るという目標を諦め、彼らと住む家を出て、生活保護を受けながら一人暮らしをしようと考えたこともあります。彼らから避難したかったのです。自分の生存を確保したかったということです。実際にケースワーカーさんに相談して、家探しも始めました。でも、その旨を伝えた時、弟は特に興味のない顔で、「出て行くなら出て行けばいい」と言いました。面倒な他人事に関わりたくない、といった表情でした。父の説得で僕は家を出ることをやめましたが、結局、彼らの僕への仕打ちが変わることはありませんでした。

そうこうしている裡に、突然、父が脳出血で倒れ、植物状態になってしまいました。新型コロナウイルス流行の折、父の入院する病院には、父が亡くなるまでの1年半の間ほとんど面会に行くことができませんでした。さて、弟と二人の生活が始まりましたが、彼は、僕に家事を全てさせるのが当たり前という考えを捨てることはなかったようで、弟が仕事を終えて帰宅した際に、僕が体調が悪くて横になっていると、いきなり逆上することをやめませんでした。片付いていないシンクを見て、自分の夕食ができていないことに気付くと、途端に足音を大きくしたり、冷蔵庫に膝蹴りしたりすることは、彼にとって自然なことであり続けています。

普段、弟は家事のシステム全体を考え直すことが必要だとか、何事もいきなり手を動かすのではなく、まず頭を使って優先順位を付け、効率よく終わらせるべきだとか、無駄な作業には1秒も時間を割きたくないとか、分かったようなことをたくさん言います。でも、彼がこれらの行動を取ることは、僕の見る限り、全くありません。

僕が夕食を作れずに倒れているのは、家事システムが根本的に間違っているからです。作業人員が2人いるのに、1人しか作業しないシステムが、そもそも間違っているのです。優先順位を付けるのが大切ならば、弟が真っ先にすべきは、怒って足を踏み鳴らすことでも、冷蔵庫に膝蹴りをすることでもなく、横になっている私に「大丈夫?どんな具合なの?」と声をかけることであるはずです(実際、そうしてほしいと頼みました)。そういうことも分からない人に、何が無駄な時間なのかの判断が付くとは到底思えません。

これは、君への手紙です。本当は、君への愛を重たいくらいに詰め込んだ手紙を書くつもりでした。君が僕にとってどれだけ大切で、僕の頭がどれだけ君で一杯かを、身を切るような誠実さでもって綴るつもりでした。でも僕は、僕の頭を、その愚かさでもって完全に満たしただけでは飽き足らず、僕の頭からはみ出して暴れ狂っている弟の幼い甘えを、君に訴えかける手紙を書いてしまいました。君は怒らずに、僕を見捨てずに、この手紙を最後まで読んでくれますか?僕はとても不安です。

僕は、知り合って随分経った今でも、やはり君に興味津々です。もっともっと君のことを、君の全てを知りたいと、強く思います。君が靴をどちらの足から履くのかとか、天気がいいと嬉しくなるのか悲しくなるのかとか、君の全部がほしいのです。

でも、今は、哀しいけれど君の話を聞くことはできません。端的に言って、インプットする余地がないのです。頭から溢れる害悪を吐き出してしまわないうちは、空き容量はゼロです。僕が、廃棄物を処理して、真人間に戻る作業に、僕は君に立ち会ってほしいのです。君に頼りたいと思う僕の気持ちを、君は抱き締めてくれますか?

僕の近況報告を、君がどんな気持ちで読んでくれたのかを知りたいけれど、勢い込んで話してくれるだろう君の話を聴く余裕が今の僕には本当にないことを、もう一度書かせて下さいね。

自宅近くで撮ったタマムシの写真を、この前君に送りましたね。贈りましたね、と書くべきでしょうか?君は、虫はあまり好きではないと言いながら、タマムシは綺麗だね、顔が案外可愛いんだね、と喜んでくれましたね。多分、今の僕に必要なのは、そういった、何てことない会話なのでしょう。

ここ数日、僕の生活リズムは完全に崩壊しています。弟が帰宅する時刻の数時間前からとても憂鬱になるのはいつものことですが、ここのところ生活が大きく変わりつつあることとも相まって、体調が乱れ、先週は精神科の診察にもカウンセリングにも行けませんでした。今も、一晩中起きていた後、弟が苛々しながら出社する支度をする様を横目で見ながら、この手紙を書いています。

繰り返しになりますが、僕は、君のことを知りたいです。でも、今はそれ以上に僕のことを知ってほしいのです。今の僕がどういう状態なのか、どんな環境で歯を食いしばって未来に目をこらしているのか、それが今の僕の全てだからです。君が辛い状況にいることは、この前会った時に聴いてよく知っています。君のその苦労を分かち合いたいと思う、僕の偽りのない真心を、この手紙に乗せて飛ばします。君のもとに真っ直ぐに軽やかに飛んで行く言葉の力を、僕はただ信じています。

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河村たかし名古屋市長が噛んだ金メダルを「交換する」必要がある理由は“汚いから”なのか?

このところ連日、名古屋市の河村たかし市長が、東京オリンピックの金メダリストの表敬訪問を受けた際に、その選手の金メダルを噛んだことが大々的に報じられています。

はっきり言って、一から十まで河村市長が悪いとしか言えません。「メダリスト(メダルの持ち主)に断りなしに」「このコロナ状況下でマスクを外して」「メダルを噛んだ」のですから、正気の沙汰とは思えません。ここは強調しておきます。彼が悪い。

その後、河村市長の噛んだ金メダルが交換されることになったようです。これに関して、交換費用を誰が負担するのか、とか、金メダルの持ち主の意向が尊重されているのか、とか、様々な論点に対して、様々な意見が飛び交っています。

他のメダリストやアスリート達も、SNS等で河村市長を批判しているようです。当然のことだと思います。自分の人生の全てを懸けて、多くの支援者と共に勝ち取った、とてつもなく価値のあるメダルなのですから、それを安直に噛んだ河村市長に、弁明の余地は微塵もありません。

さて、ここで私が問題にしたいのは、こういったことではなくて、金メダルを交換することの「理由」なのです。

交換が必要だ、ということは、即ち、交換される対象は、交換されることなしには用をなさない状態である、ということです。この場合で言えば、噛まれたメダルは、交換されることなしにメダルとして機能しない、ということになります。

次に、メダルとして機能しないとはどういうことか、と考えてみます。ここからは、メダルをもらったことなど一度もない私の推測ですから、おかしなことを書いていましたら、感情的にけなしたりせずに、穏やかにかつ論理的に誤りを指摘して下さいね。生産的にいきましょう。

まず、河村市長に噛まれたことで、メダルの持つ「意味合い」が損なわれたのだ、という主張に反論することは難しいでしょう。しかし、メダルは、交換されることによって、もっと言えば、交換されさえすれば、損なわれた「意味」を(どの程度)回復することができるのでしょうか。ここには少し疑問が残ります。

続いて、メダルが、河村市長に噛まれたことによって「物理的に汚損された」場合を考えてみましょう。この場合、考えられるのは、河村市長の「歯型が付いてしまった」ケースでしょう。しかし、私がニュース報道を調べた限りでは、そういった話は目にしませんでした。また、「軽く噛んでみせる」という「パフォーマンス」によって、金属製のメダルに歯型が付くとは思えません。河村市長はものすごくあごの力が強い、という話も聞いたことがありません。

「物理的に汚損された」もう一つの例として、河村市長の唾液が付着した、という場合を考えてみましょう。特にコロナウイルスが蔓延するこの時期において、赤の他人の唾液が付着した物に忌避感を持つのは当然です。ましてやそれが大切な大切なメダルなのですから、不愉快だという感情を、メダルの持ち主が持つのは当然です。

ただ、安易な発想かもしれませんが、唾液なら拭けば取れるのではないか、と私は考えてしまいます。もし、清拭では間に合わず、徹底的なクリーニングが必要で、それを専門のクリーニング業者に依頼する、というのであれば、クリーニング費用を河村市長が負担する、ということになる訳で、これは筋の通った話です。

でも、交換が必要だ、という話になっている以上は、メダルは、清拭では間に合わない状態である訳です。具体的にどういった状態なのかは報道されていませんけれど(そして報道されるべきではないでしょうけれど)、やはりもう、メダルとして機能しない状態になっている、と考えざるを得ません。

ここまで考えてきた時に、一つの考えが私の頭に浮かびました。つまり、一言で言うと「汚いから換えてくれ」という話なのではないか、と思ったのです。

つまり問題は、物理的な汚損でもなく、メダルの持つ価値が損なわれたこと自体でもなく、「河村市長が」噛んだことが問題なのではないでしょうか。

河村市長が持つ、不快な感情を喚起しかねない属性の筆頭は、残念ながら「おじさん(中高年男性)」であること、ではないでしょうか。

更に考えを進めます。お断りしておきますが、この件で責められるべきは河村市長ただ一人です。また、金メダルを獲得したアスリートにも言及していますが、言及することと非難することは全く違います。私は、当該メダリストを擁護はしても、非難する気は少しもありません。

メダルを噛んだのが河村市長でなかった場合、を考えてみましょう。たとえば、ものすごいイケメン俳優だったら?美貌で知られるハリウッド女優だったら?メダルの持ち主が大ファンであると公言しているお笑い芸人だったら?または、メダルの持ち主の愛犬だったら?マスコミや、市井の人々の反応は、そして、メダリスト本人の反応は、河村市長が噛んだ場合とどう違うでしょうか?

ここから更に慎重に書き進めます。あくまで仮定の話ですが、メダリストが憧れる美形の俳優(性・ジェンダー不問)が噛んだのなら、ひょっとしてメダリストの反応は「〇〇さんに噛んでもらった!嬉しいから一生洗わない!」みたいにならないでしょうか?または、メダリストの親御さんが噛んだのなら、「もう、お母さん、私のだよ笑」なんて言葉は生まれなかったのでしょうか?

これは、裏を返せば、そういう風に「笑って済ませられる」関係であるか否かを、河村市長が認識できていなかった、ということでもあります。その点でも、彼は責められねばなりません。

メダリストと親しい間柄である人が噛んだのならば(勿論、メダリストと親しくなるような人はメダルを噛んだりしないでしょうが)、特に問題にならないケースが、「交換」が必要な事態にまでなっている今回の一件に関して言えることは、問題になっているのは、物理的な汚損よりも、メダルの意味合いが損なわれたこと自体よりも、「河村市長が」噛んだことなのでしょう。

この件に関しては、マスコミが過剰に騒ぎ立てているのではないか、という意見もあるようです。河村市長を悪者に仕立て上げ、事態をことさらに大きくして、視聴率を取ろうとしているとも言われているようです。

河村市長を悪者に仕立て上げやすいのは、ほぼ間違いなく、彼が「おじさん」だからでしょう。今の日本で、「おじさん」を悪く言うことに異論を唱える人はあまりいません。「おじさん」を“下げて”おけば間違いない、という共通了解のようなものって、はっきり言って存在していると思います。

でも、「メダルの交換が必要なほどに」河村市長は「汚い」イメージなのでしょうか?彼は、そこまで「不潔な」「不快な」人物なのでしょうか?私には分かりません。

確かに、メダルの持ち主が「交換してほしい」と言ったならば、その意向は最大限尊重されるべきです。しかし、私は、そのアスリートに、「なぜ交換が必要なのか」と質問してみたくて堪りません(勿論、私が質問する機会など、絶対に設けられてはなりませんが)。「交換が必要なのは、メダルを噛んだのが河村市長だったからなのですか?」と。

「物理的に汚損された」メダルは、どうあっても交換されなければなりません。しかし、ものの分からない、立場だけはある政治家が「噛む真似をした“程度”では(わざと軽く言いますが)」メダルの価値は、たとえ物理的に汚損されていたとしても、全く損なわれないと私は信じます。変わらずに世界一の輝きを放ち続けているはずです。そして、その持ち主であるアスリートは、その輝きにふさわしい方なのです。

政治家の不愉快な言動にいつまでも固執するよりも、メダルの輝きや、その裏にある努力の尊さにこそ、目を向けたいと私は思います。

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コロナウイルスのラムダ株の国内初確認の公表時期が、オリンピック後・パラリンピック前だったことは、障害者差別的に見えかねない。

今年7月に、オリンピック関係者で、南米ペルーに滞在歴のある女性から、コロナウイルスのラムダ株が見つかった、との報道がされています。

そして、7月の段階で分かっていたこの事実を、オリンピック閉幕まで、日本政府が公表しないでいたのではないか、つまり隠蔽していたのではないか、とも言われています。

多分、隠蔽していたのだろう、と思わざるを得ません。公表することによって、オリンピックが開催できなくなることを恐れたのだろう、と私でなくても思うことでしょう。

ただ、障害者である私は、こうも思うのです。オリンピック閉幕まで隠蔽して、その後公表した、という仮定が、もし仮定でなく事実だとするならば、それは即ち、パラリンピック開幕前に公表した、ということですよね。

ラムダ株の国内での確認を公表することで、開催しにくくなるのは、オリンピックもパラリンピックも同じだということを考えると、オリンピックは開催できないと困るけれど、パラリンピックは開催できなくてもよい、というのが日本政府の考えなのでしょうか?

ラムダ株に感染した女性が、オリンピック関係者であって、パラリンピック関係者ではないから、パラリンピックの前に公表しても、パラリンピックは開催できる、という声も聞こえてきそうですが、それも詭弁に聞こえます。オリンピックでもパラリンピックでも、世界中から選手団やマスコミが日本に来るのは同じですから。

ここですぐに、いわゆる健常者のスポーツの祭典であるオリンピックと、いわゆる障害者のそれを単純に比較して、ラムダ株確認の公表時期が、障害者差別的だと喧伝するのは、あまりに安直かもしれません。日本政府が公表時期を決めた理由は、他にもあるかもしれませんしね。それに、日本政府がラムダ株の確認を公表せずに隠蔽していた、と言い切ること自体が、証拠不十分で、できることではないでしょう。

しかし、ラムダ株の国内初確認が、オリンピックの後・パラリンピックの前に公表された、という事実は、やはり重く受け止められねばなりません。

なぜこの時期に公表されたのか、ということをこそ、マスコミの方々には追求・報道してほしいと切に願います。

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何にもできない自分でも

何にもできない自分でも受け入れる。

それってどうすればいいのかな?

ただ横になっているしかない自分を、どうやって受け入れたら良いのかな?

働けない、家事もできない、お風呂にも入れない、歯もみがけない自分でも、受け入れてみたい。

そして、何にもできない自分を受け入れて、その先に見える景色を見てみたい。

それってどんな景色なんだろう?

どんな額縁に入って、どんな色で塗られてるんだろう?

何にもできない自分を受け入れたら、

何にもできなくてもいいやって、今のままでいいやって、投げやりになるのかな?

違うよね。

きっと、誰かのために、何かのために、そして何より自分のために、

ものすごく頑張れる人になるんだと思う。

そういう人になりたい。

とてもとてもそう思う。

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軍人の男女比率の偏りは問題なのか?

今日は、タイムリーな話題ではないのですが、少し思い出したことがあるので書こうと思います。大学生をしていた頃、確かジェンダーの授業で、軍隊内の男女比率が偏っていること、つまり軍人は男性ばかりなことについてディスカッションをしたことがありました。

ジェンダー平等の観点から、軍人の男女比を等しくすべき、とか、クオータ制を導入して、女性が軍隊に入りやすくすべき、といった意見が出ていました。

確かに、ジェンダー平等はいかなる場面においても達成されるべきです。

でも、と私は思うのです。

本当の問題は、そこではないはずです。

男性も女性も、等しく軍隊に入らないで済む社会を作ることをこそ目指すべきなのです。

理想論かもしれません。

軍隊なしに国民の生活が成立しない国にとっては、机上の空論でしかないでしょう。現実を見ろ、という声が聞こえてきそうです。

現実を見据えることはとても大切です。でも、現実だけを見ていてはいけません。どれだけ現実とかけ離れていても、それでも高邁な理想を掲げ続けるべきなのです。

そしてそれは本来、政治の役目であるはずです。

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精神疾患

“自己嫌悪 責められるのは 社会です” 或いは「病む権利」について

今回は川柳風に五・七・五でタイトルを付けてみました。totteruです。

精神疾患を長くやっていると、自己嫌悪に陥ることが多くあります。朝思った時間に起きられなかったり、やるべきことがあっても手を付けることさえできなかったり…。要するに自分の身体が自分の言うことを聞かないということなんですが、それって実はもの凄いストレスなのです。しかも何年も続きますし。

そういう時に、我々は「○○もできない自分は何て駄目なんだ!」等と思いがちです。私もそう考えることが多かった。できないことがあって辛い、という気持ちを素直に受け止めてやることはもちろん大事なのですが、恐らくもっと大切なことは、嫌悪のベクトルの向く方向の見直しでしょう。つまり、病気でできないことがあった時に、できないことがある自分を責める、ということが果たして正しいのか、ということです。

そういう時、こう考えるのが良いのではないでしょうか。つまり、「病気をしている以上、できないことがあるのは当たり前だ。体調が悪くてできないことに関して、他人も、自分でさえも、自分を責めることはできない」と。

人間は、自らの健康を維持・増進する必要がありますが、それと同様に「病む権利」も持っているはずです。不摂生をした結果の体調不良は、時には責められるかもしれませんが、その場合とて体調の悪い本人(患者)は、最大限に労わられなければなりません。ここで言う「病む権利」とは、病気になっても、堂々と病人として振る舞う権利、と言い換えて良いでしょう。病気になれば、生活上の制約は増えて当然ですし、できないことや周囲の手を借りなければできないことも多くなるでしょう。それを恥じたり、申し訳なく思う必要は本来ない、と言いたいのです。

「病む権利」を行使して堂々と振る舞っても、やっぱりしんどいし、できないことはできないままだ、と嘆く方もあるでしょう。そうしてまた自己嫌悪に陥ってしまうのではないでしょうか。病気で不自由することの責任を本人に帰して自己嫌悪に陥るって、とても辛いことだと思うのです。

私は、病気になったこと自体に良し悪しはないけれど、病気で不自由をするのは病人自身の責任ではなく、社会の責任だと考えます。社会と言っても、日本政府の社会福祉政策の問題、という話よりも(勿論そういう側面もありますが)、人間の集合体という意味での「社会」の責任を、今は問いたいのです。この「社会」は「コミュニティ」と言い換えられるでしょう。

私たちは、個々人が複数の、それも多種多様なコミュニティに属しています。家族や学校、職場や地域社会、都道府県や国家もその例でしょう。東アジア文化圏とか、人類社会まで話を広げても良いでしょう。肝心なのは、それらがちゃんと機能するセーフティーネットを持っているか、病人を助け支えてくれるか、ということであるはずです。

例えば、totteruは家族と2人暮らしですが、その家族はtotteruの病歴をよく知っているにも関わらず、先日totteruが病気のことでちょっと話を聞いてほしい、と頼んだら、突然不機嫌になって面倒くさそうに「その話は何分かかるの?」と言ったのです。当然話を聞いてもらう気は失せてしまったのですが、これは「家族」というコミュニティが機能していない一例です。それともただの愚痴でしょうか。

要するに、病気で辛い思いをしている人が、自分を責めずにいられる社会になってほしいと思うのです。病気をしても堂々と療養生活ができ、当たり前のように「辛い、苦しい、しんどい」と言ってよい社会。誰もが、何の見返りも求めずに病人を助けてあげられる社会。病人が病人として、ちゃんと居場所を持てる社会。そういう社会をつくっていくために、微力ながら尽力したいtotteruです。私が病気をした意味は、そこにあると信じています。

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その他

人と人とのつながりは勿論大切だ。でも、つながり方は一つではない。

新型コロナウイルスの影響で、多くの人が外出を控えたり、テレワークを行ったりする中、人と人とが直接会って、つまり物理的に対面して、関わることの大切さが言われるようになってきました。

それに関して異議を唱える気は全くありません。

ただ、一つ気になることがあって、それは2011年3月の東日本大震災後の世論に対しても感じたことなのですが、人と人とのつながりを評価し直す風潮の中で、「昨今の人間関係よりも、〇〇〇の人間関係の方がより優れている」とか、もっと言えば「正しい対人関係はこれだ」といった、人間同士の「つながり方」をも評価するような言説が多いように思うのです。そして、それらの言説が説く「良い」つながり方は割合一様で、悪く言えば多様なつながりのあり方をどこか毛嫌いしているように見えます。

色々な人が色々な形で社会を作っているのです。色々な関係があって良いはずです。
あからさまに間違っていたり、問題を含んでいたりしない限りにおいては。

多くの場合、年長の男性が、きつい言葉で、或いは時には手を出して、「あるべき」人間関係を「教えて」いる場面を見たことのある人も少なくないはずです。(これを彼らは「躾」とか「教育」とか呼ぶようです)。

具体例のない文章になってしまいました。
読みにくいかもしれませんが、わかりにくくはないはずです。

totteruでした。

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精神疾患

病時の言動に現れるのは、その人の本質ではなく、病気に助長された欠点のみである。

病時の言動に現れるのは、その人の本質ではなく、病気に助長された欠点のみである。

…といきなりぶち上げられても困りますね。totteruです。

随分と久しぶりの更新になってしまいました。その理由は追々書くとして、今日のテーマと結論は、タイトルの通りです。

勿論、これだけでは何のことやら分かって頂けないでしょうから、以下にご説明致します。

「病時」と言いましても、双極性障害のtotteruの書くことですから、病気一般に罹患した時を指す訳ではありません。双極性障害をはじめとする精神疾患時のことだ、とご理解下さい。さて、そうした時の言動には、残念ながら、常軌を逸したものが本当に多いです。精神的及び肉体的な自傷行為や、他人を傷付ける暴言・暴力など…。そして、これらの言動を見て、「あいつは自分を責めてばかりいる馬鹿な奴だ」とか「暴力的な言動を取る危険な輩だ」などの評価を下すことを、多くの場合、私共はためらいません。何故か、病時の言動にその人の本質や本性が見えるものだと、私共は信じ切っています。

しかし、本当にそうなのでしょうか。

実際totteruも、つい最近まで「病時の言動にはその人の本質のみが現れる」とばかり考えていました。そして、過去(もう10年にもなります)に躁状態の自分が吐いた、他人の身体的特徴を論難する無数の罵詈雑言を思い返しては、「私は、他人をあのように言ってしまう、そういう人間でしかないんだ」と、自らを何度も何度も強く蔑みました。

でも、最近、亡母のある言葉を思い出した時に、totteruの考えは大きく変わりました。
それが、具体的にいつのことだったかまでは忘れてしまいましたが、母の病気が大分進んでいた頃のことだったと記憶しています。一度だけ母に頼んでカウンセリングに付いて来てもらって、カウンセラーさんと話した時のことでした。totteruが、ある相手と毎日何度も怒鳴り合いをし、それが数週間続いた、という話をし、これは躁状態だったのか否か、と言うと、普段は穏やかな母が珍しく強い口調で、即座に、それは病気のせいに違いない、と言ってくれたのです。「この子はそんなことをする子じゃありません」、とも。

ただの親馬鹿発言と取れなくもありません。
また母は、怒鳴り合いの現場に居合わせた訳でもありません。実情を知らないのです。
しかし、totteruはとっても嬉しかったのですね。

とは言え、totteru自身が自分を「そんなことをする子じゃない」と信じられるまでには更に数年の歳月を要しました。母のように強く強く信じることはまだ出来ないにしても、ある程度自分のことを肯定できるようになった時、躁状態で錯乱して暴言を吐きまくっていた過去の自分を、自分の本質を体現したものではなく、端的に言えば「病気でおかしかった自分」と考えられるようになったのです。

そこから考えを進め、自分の長所が病気のために鳴りを潜めて、或いは長所は病気に奪われて、短所・欠点ばかりが、目立ったり病気に付け込まれて助長されたりしてしまうのではないか、と考えるに至りました。

これでようやくタイトルの解説が出来ましたが、上記は都合の良い考えだ、とか、虫が良過ぎる等といった声もあろうかと思います。病気のせいでおかしくなった等というのは無責任で、病時にこそ、その人の本質が出るのだ、とお考えになる方も或いはあるかもしれません。

どちらの考えがどの理由のために正しい、等とはtotteruには言えません。
しかし、当事者としてtotteruが申し上げたいのは、こういう考え方をして自分の暗部を自分からしっかり確実に切り離してしまわないと、生きていけない人が確かにいる、ということです。

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その他

「異議なし」という表現について

totteruです。

今日は、「異議なし」という表現について考えてみたいと思います。

この表現は、父親が学生運動をしていた私にとって、
学生運動自体をよく知らないながらも、
やはり学生運動を想起させるものなのです。

「我々は、断固として、〇〇〇するー!」
「異議なーし!」
「異議なーし!」
…のように使われていましたね。

今でも、団塊の世代で、この表現を使う人は少なくない気がします。

でも、この表現は、変な言い方かもしれませんが、
「素直でない」表現のように思えてなりません。

では、なぜ「素直でない」表現だと思うかをご説明致します。

「賛成!」という表現ではなぜいけないのでしょうか。
これが最大の理由です。

・「賛成」は、(主に演説の内容を)積極的に評価し、肯定する表現でしょう。

・しかし、「異議なし」は、異議こそないものの、
強く賛同する訳ではなく、止むを得ず従う、
というようにも聞こえます。

ここまで読んで頂ければお分かりでしょうが、私は論理的思考に弱いです。
「異議なし」ならば、「否定の否定」で全肯定ではないか、
と思われる方もいらっしゃるでしょう。

さて、全肯定か否かは一旦おいて、次の言葉を考えてみましょう。
totteruの父親が、学生運動とは無縁のあることについて言った発言からです。

「悪くはないけど、良くもない」

この発言は、私には、上記で「素直でない」と評した「異議なし」と言う表現に
極めて近いものに聞こえるのです。

というのは、この父親の発言をもっと具体的に言い換えると、
「反対意見こそ特にないけれど、さして良いとも思わない」になると思うからです。

この発言がもし、
「良くはないけど、悪くもない」
であったなら、評価する対象を、少なくとも肯定的に受容している感じはしますが、

「悪くはないけど、良くもない」では、
「今は反対しないが、いずれ折を見て潰し、俺の意見を通してくれる」のようにもとれませんか。
考え過ぎでしょうか。

今回は、最後で少し論理が飛躍しました。
私の論理的思考力の弱さも露呈しましたし、話も大幅にまとまりを欠きました。

これ以上書くと、更に混乱しそうなので、
今日はここまで。

totteruでした。

 

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精神疾患 読書

精神疾患と読書

totteruです。

今日は、精神疾患者としての私の、読書との関わり(発症後のそれ)を書いてみようと思います。
同じ病に苦しむ方の参考に少しでもなれば嬉しい限りです。

さて、自己紹介の頁にも書きましたが、私は研究者志望です。
双極性障害のために中退した大学に再入学し、大学院に進んで研究者になりたいのです。
同級生より10年以上勉強が遅れている今でも、本気でそう考えています。

ところが、ここに大きな問題があります。
主に精神疾患のために、読書が出来ないのです。本が読めずに困っています。

私は文系で、特に社会科学と呼ばれる分野の専攻なので、とにかく読書量が求められるのですが、精神疾患の患者さんならおわかりでしょうけれど(そうでもないでしょうか)、活字を読んで批判的に検討する、といった高度な頭脳活動を行えるほど、脳の状態に余裕がないのです。

それどころか、2~3年前までは、活字が追えませんでした。
これはどういうことかと言いますと、例えば日本語の文章を読んでいて、それが縦書きだとして、文章を構成する行(ぎょう)と行とが交錯して見える状態だったのです。
目はちゃんと見えていましたので、脳が正しく認知出来ていなかったのでしょう。
これでは内容を読み取るどころではありません。
(その割に、その時期にC.ギアーツなど読んでいました。本を選ぶ能力ゼロですね。当然、全く頭に入りませんでした。)

その時期は、何とか読書の能力を取り戻さなければならない、と焦りまくっていました。
かなり色々な本を選んできてはトライした記憶があります。
ですが、小説や物語は、見たくもありませんでした。病気になる前は大好きでよく読んでいたのですが、何故か興味が全く湧きませんでした。登場人物の感情の揺れ動きや、心理描写についていける気がしなかったからだろうと思います。そういうものをこそ書くのが、小説であり物語なのでしょうけれど、こちらは自分の感情だけで手一杯というか、手一杯どころでは全然利かない状態でしたから、他人の感情になど付き合っていられませんでした。

時々は、読めている感触がある時があったのですが、今思えば感触だけで、実際には読めて(理解できて)いなかったのでしょうね。とはいえ、感触だけでも得られたというのも、行同士が交錯する状態だったことを考えると、何とも不思議です。

次のような読み方をしていた時も、上記の時期の中にありました。
今考えると、ひどいうつ状態だったのでしょう、1見開き当たり10~20箇所の文言を抜き出しては、自分自身の在り方や来し方とひき比べ、
「著者はこういう発想をしているが、自分にはその発想はできるか。多分無理だろう。何故無理なのか…。ああでもない、こうでもない!!!」と延々と考え込んだり、
「こういう表現を自分は使えるか。出来っこない。私はやっぱり能力のない人間だな!!!」と自分を責めたりしていました。
これは、今ではある種の自傷行為にも思えます。辛かったです。

現在はどうなのかと言いますと、やはり読書はもの凄くしんどいです。
読みやすい軽い新書などを含めて、年間30冊くらい読むのがやっとです。
当然難解な論考や英文などは少しも読めません。
(自慢ではなく、どれくらい読書の力が落ちたかを示す例としては、大学3年の時には、レポートを書くために一晩徹夜して英文200頁を読んだこともあったのですが(さすがに精読ではありませんが)、今では英文は目がチカチカするだけで全く受け付けません。)

ただこの先、研究者になるにはどうしても読書能力を取り戻さねばなりません。
試行錯誤は続きます。

totteruでした。