親愛なる君へ
僕は、君が誰であるのかをまだ知りません。それでも、誰だか分からない君に宛てて、渾身の力で手紙を書きます。僕はこれからも生きていくけれども、つまり、すぐに死ぬ気は微塵もないけれども、今の僕が、今、生きていることを、ここに書くことなしに、先に進むことができないことを知っています。
少し君の時間を頂戴したいのです。そして、僕の声に耳を傾けてほしいのです。
僕は、君に話を聴いてほしいのです。他の誰でもなく、君に聴いてほしい。でも、できることなら、勝手だけれども、僕の話を聴き終わったら、僕の話にコメントせずに、君のいつもの落ち着いた笑顔で「大変なんだね」とだけ言って、僕を抱き締めて下さい。できるだけきつく、ぎゅっと抱き締めて下さい。多分、僕は泣き出してしまうでしょうけれど、それでも、しばらく抱き締めていて下さい。僕は、最初のうちは甘えた声を出して、つまらないことを話し続けるでしょう。話半分以下で聞いてくれるのが適当だと思います。
ものの数分で、僕は眠ってしまうでしょう。希望的観測ですが、本当にすぐに、情けない顔をして口を薄く開けたまま、眠りに落ちてしまうはずです。
ここまで書いてきて、僕は、君が、僕の恋人の女性であることに改めて気付きました。僕は、君を、母性として表象して搾取するつもりでは決してないのだけれど、やはり君の胸に抱かれて、勝ちも負けもない世界に遊び、君の前でこそ張りたい見栄を、君の前だからこそかなぐり捨てたいのです。はっきり言うのはとても勇気が必要だけれど、やはり、言わなければ伝わらないので(言っても伝わらないでしょうが)、この恥ずかしい告白こそが格好いいのだと懸命に勘違いして、君に言います。
君の子供にして下さい。
君の子供にして下さい。
もう一度言います。
君の子供にして下さい。
自分で言うのはとても淋しいのだけれど、他の誰も言ってくれないので、自分で言いますが、この10年以上、僕は本当によくやってきたと思います。すごく頑張ってきた。自分の体調が悪いのに、それでも治療に専念できる環境ではありませんでした。母が癌で闘病して亡くなり、その後、父と弟に無料家事要員として、自殺を考えるまでこき使われました。何度も彼らに抗議をしました。僕は病人で障害者なのだ、と。家事をするために家にいるのではなく、働きに出られないから止むを得ずに家にいるのだ、と。
でも、彼らは結局取り合ってはくれませんでした。父は「家にいるのだから、家事をすればいいじゃないか」と当然のことのように言いました。「家事をすれば“いい”」というのは、どういうことですか?誰にとって、どう“いい”のですか?少なくとも、私には何の“良さ”もありませんでした。
彼らに使われていた間、僕は夜になって寝床に入るのが嫌で嫌で堪りませんでした。確かに、彼らに押し付けられた家事を全て終えたから、ようやく眠ることができるのですが、でも、横になって、寝入ってしまえば、必ずまた朝が来ます。朝になれば、家事をさせられるだけの一日がまた始まってしまう。僕が、病気をおしてワンオペ家事をしていると、その段取りが彼らの思った通りではないと怒られたり、訳の分からない思い出話に付き合わされたりするだけの、糞ほどの価値もない一日がまた始まってしまうのです。それが嫌で、本当に、死ぬこと、死んで楽になることしか考えられなかった。
結局、追い詰められて希死念慮が出てしまい、2度入院しました。彼らに入院させられました。入院中、主治医立ち会いの下、家事分担を決めて、一覧表にしましたね。でも、誰もそれを守らなかった。
何度も彼らに話し合いを要求しました。でも、話し合いに応じる必要をすら感じていない人たちが、僕の家族だったのです。僕の家事負担が大き過ぎるから、少しでも協力してほしい、と手紙も何度か書いたけれど、手紙の文章構成が非論理的だ、と添削するだけだったり、そもそも読まずに何日も机の上に放置して、ほこりをかぶってしまったのを見かねて僕が片付けたこともありました。
彼らに使われるのがあまりに辛かったので、大学に戻るという目標を諦め、彼らと住む家を出て、生活保護を受けながら一人暮らしをしようと考えたこともあります。彼らから避難したかったのです。自分の生存を確保したかったということです。実際にケースワーカーさんに相談して、家探しも始めました。でも、その旨を伝えた時、弟は特に興味のない顔で、「出て行くなら出て行けばいい」と言いました。面倒な他人事に関わりたくない、といった表情でした。父の説得で僕は家を出ることをやめましたが、結局、彼らの僕への仕打ちが変わることはありませんでした。
そうこうしている裡に、突然、父が脳出血で倒れ、植物状態になってしまいました。新型コロナウイルス流行の折、父の入院する病院には、父が亡くなるまでの1年半の間ほとんど面会に行くことができませんでした。さて、弟と二人の生活が始まりましたが、彼は、僕に家事を全てさせるのが当たり前という考えを捨てることはなかったようで、弟が仕事を終えて帰宅した際に、僕が体調が悪くて横になっていると、いきなり逆上することをやめませんでした。片付いていないシンクを見て、自分の夕食ができていないことに気付くと、途端に足音を大きくしたり、冷蔵庫に膝蹴りしたりすることは、彼にとって自然なことであり続けています。
普段、弟は家事のシステム全体を考え直すことが必要だとか、何事もいきなり手を動かすのではなく、まず頭を使って優先順位を付け、効率よく終わらせるべきだとか、無駄な作業には1秒も時間を割きたくないとか、分かったようなことをたくさん言います。でも、彼がこれらの行動を取ることは、僕の見る限り、全くありません。
僕が夕食を作れずに倒れているのは、家事システムが根本的に間違っているからです。作業人員が2人いるのに、1人しか作業しないシステムが、そもそも間違っているのです。優先順位を付けるのが大切ならば、弟が真っ先にすべきは、怒って足を踏み鳴らすことでも、冷蔵庫に膝蹴りをすることでもなく、横になっている私に「大丈夫?どんな具合なの?」と声をかけることであるはずです(実際、そうしてほしいと頼みました)。そういうことも分からない人に、何が無駄な時間なのかの判断が付くとは到底思えません。
これは、君への手紙です。本当は、君への愛を重たいくらいに詰め込んだ手紙を書くつもりでした。君が僕にとってどれだけ大切で、僕の頭がどれだけ君で一杯かを、身を切るような誠実さでもって綴るつもりでした。でも僕は、僕の頭を、その愚かさでもって完全に満たしただけでは飽き足らず、僕の頭からはみ出して暴れ狂っている弟の幼い甘えを、君に訴えかける手紙を書いてしまいました。君は怒らずに、僕を見捨てずに、この手紙を最後まで読んでくれますか?僕はとても不安です。
僕は、知り合って随分経った今でも、やはり君に興味津々です。もっともっと君のことを、君の全てを知りたいと、強く思います。君が靴をどちらの足から履くのかとか、天気がいいと嬉しくなるのか悲しくなるのかとか、君の全部がほしいのです。
でも、今は、哀しいけれど君の話を聞くことはできません。端的に言って、インプットする余地がないのです。頭から溢れる害悪を吐き出してしまわないうちは、空き容量はゼロです。僕が、廃棄物を処理して、真人間に戻る作業に、僕は君に立ち会ってほしいのです。君に頼りたいと思う僕の気持ちを、君は抱き締めてくれますか?
僕の近況報告を、君がどんな気持ちで読んでくれたのかを知りたいけれど、勢い込んで話してくれるだろう君の話を聴く余裕が今の僕には本当にないことを、もう一度書かせて下さいね。
自宅近くで撮ったタマムシの写真を、この前君に送りましたね。贈りましたね、と書くべきでしょうか?君は、虫はあまり好きではないと言いながら、タマムシは綺麗だね、顔が案外可愛いんだね、と喜んでくれましたね。多分、今の僕に必要なのは、そういった、何てことない会話なのでしょう。
ここ数日、僕の生活リズムは完全に崩壊しています。弟が帰宅する時刻の数時間前からとても憂鬱になるのはいつものことですが、ここのところ生活が大きく変わりつつあることとも相まって、体調が乱れ、先週は精神科の診察にもカウンセリングにも行けませんでした。今も、一晩中起きていた後、弟が苛々しながら出社する支度をする様を横目で見ながら、この手紙を書いています。
繰り返しになりますが、僕は、君のことを知りたいです。でも、今はそれ以上に僕のことを知ってほしいのです。今の僕がどういう状態なのか、どんな環境で歯を食いしばって未来に目をこらしているのか、それが今の僕の全てだからです。君が辛い状況にいることは、この前会った時に聴いてよく知っています。君のその苦労を分かち合いたいと思う、僕の偽りのない真心を、この手紙に乗せて飛ばします。君のもとに真っ直ぐに軽やかに飛んで行く言葉の力を、僕はただ信じています。