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ツイッター始めました。

ツイッターを始めました。

今年3月からツイッターを始めました。ブログを書くのは楽しいのですが、頭の中身を言語化する営為を負担に感じることも少なくありません。
そこで、ツイッターに小さなアイデアを書き留め、それらをいくつかまとめたり掘り下げたりしてブログ記事を書くことにしました。タスクを小分けにしてこなすイメージです。

@totteru.jp

です。是非ご覧下さい。

ツイッターの投稿は、このブログのように一まとまりの考えを綴ったものではありませんが、字数の制約がある分、個別の小さいテーマについての(基本的に)完結したアイデア(或いはその萌芽)を凝縮して書いています。

ご一読下さい。

●追記(2024年4月13日):

先日、X(旧Twitter)をやめてしまいました。とはいえ、アイデアの萌芽(上記参照)を書き留める場所はやはり私にとって必要なので、別の媒体を探しているところです。

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ウクライナにいる私の友人へ

そちらはとても寒いでしょうね。

まだ会ったことのない君に、これからも会うことのないかもしれない君に、それでも手紙を書かずにはいられないので、私はウクライナ語もロシア語もできないけれど、私の考えを一番に乗せてくれる言語で、君への思いを綴ります。

世界の、これ以上の劣化に対して毅然とノーを唱えることは、人間の義務であると考えるからです。

日本は今、早朝です。内向きな若者が増えたと言われるこの国にも、君や君の祖国を思って憤り泣く人々がいます。私もその一人です。しかしそうは言いつつも、私たち人間はまた、善意で悪行をなし得ます。君や君の祖国のためと謳いながら、そして本当にそう信じていながらも、どうすれば大切な友人に平和と安寧を届けられるのかを正確に考えることができないままに、却って君や君の祖国に対して更なるダメージを与えてしまっている人々がいることも否定できません。憤るにも泣くにも、心配するにも援助するにも、それ相応のやり方があるのです。

さて、日本の戦国武将に、織田信長という人がいました。その人から数えて16代目の直系の子孫が、織田信成というフィギュアスケートの元選手です。君も、彼のことを知っているかもしれませんね。信成さんは、感情豊かな人で、少し高い声で話し、よく涙を流します。先般見たテレビ番組で、彼の先祖にあたる信長は、当時の文書によると、すぐに腹を立てて甲高い声で怒鳴る人であったそうです。また、信長の肖像画は、子孫である信成さんによく似ているのだそうですが、その頭蓋骨の形から推測される声質はかなり高いものであったそうです(文書の記述と合致しますね)。人間の声というのは頭蓋骨に共鳴させて発するものなのだそうで、頭蓋骨の形からある程度まで声質を推測できるのだそうです。

ということは、今から400年前に織田信成さんに似た人が天下統一を目指す武将としてこの国にいたと考えることができます。見た目も、声質も、そして恐らく感受性豊かなところまでも似通った武将が、織田信長と名乗って、天下布武とか楽市・楽座とか言っていた訳です。もっと勝手な空想をすれば、400年前経っても内面も外見もあまり大きくは変わらないのならば、800年経っても、1200年経っても、現代の私たちとそう大きくは変わらない人々が、この国に生きていたと考えることができます。

1200年前といえば、私の住む古都に都があった頃です。と考えると、私のように大柄で骨太で偏屈で、でも寂しがり屋な男性がこの国に住んでいたのです。そしてきっと、男の考えることなんて昔も今も、「腹減ったな」とか「仕事だるいな」とかいったことでしょう。もっと言えば(ここから先は、フェミニストには批判されることでしょう。問題を含んだ考え方であることは私も認めます。そして、改めてゆきたい考えであることも述べておきます。上に書いたように「善意で悪行をなしている」意見かもしれません。ただ、自分と遠く離れた時代に生きた人に対する想像力を駆使するための、極めて卑近な私なりの提案だと思ってお読み下さい)、毎日「〇〇ちゃん可愛いな」とか「△△さんはスタイルいいな」とか「××したいな」とかばかり考えていたことは想像に難くありません。私はいつも都の跡を通るたびに、この場所で暮らしていた1200年前の自分の視点を想像します。

こうやって、自分で簡単な「補助線」を引くことで、人の想像力は容易に翼を得ます。内向きな人間も、その場にいながらにして、君の祖国に住むことができます。戦火の消えない、愛しい大地に、来年のための種を蒔くことができるはずです。

今、足りないのは、そして最も強く求められているのは、人間の想像力です。想像力を駆使しないのは、人間の叡智に対する許しがたい冒涜です。知性に裏打ちされた想像力を、人間を人間たらしめるそれを、今こそ結集する時です。今より少しでも人が人に優しくなるために、世界をわずかにでも豊かにするために、私たちは、今この瞬間に、学びを祈りを、そして具体的な行動をとめてはなりません。

日本では(主に東日本以西のようですが)、春になると、門出や旅立ちを祝うかのように桜の花が咲きます。君の国にも、綺麗な桜が咲きますように。私たちは、いつも君と君の祖国とともにあります。

君の長い返信を、心待ちにしています。

君の日本の友人より

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寂しさを抱きしめて、或いはひとりで孤独に向き合うこと

11月も半ばになると、関西も結構寒いです。気の合わない弟と二人暮らしで、お付き合いする相手もいない私ですので、毎日寂しさを抱えて暮らしています。

私はもう10年以上、精神科に通院していますので、体調の悪さも孤独を募らせます。

孤独と孤立との違いだとか、自分で選び取った孤独か否かなど、孤独という言葉を考える際には論点が多くあるように思います。

今回私が考えたいのは、表題の通り、同じ方向を向いて「寂しいね」「うん、哀しいね」と言い合ってくれる相手がいない時に、それでも「寂しい」という自分の感情を優しく自分の二本の腕で抱きしめて慈しむことを、自らの意思で(或いは、意志で)選び取ること、についてです。その時に見える景色は、どのようなものなのでしょうか。

人間は、寂しい生き物だと思います。寂しいからこそ、深い孤独を抱えているからこそ、人間で、または人間的で、あることができるのでしょう。

孤独をしっかりと抱きしめることができた人だけが、大切な人と精神的に強い紐帯をつくることができるのだ、と言う人もいます。確かにそうかもしれません。

でも、人と繋がるための寂しさって、何だか嘘くさく感じてしまいます。人と人とが繋がることがとても素晴らしくかけがえのないものだと、やっと最近になってやっと分かった私ですが、それでも、人と人とが結び付くことに至上の価値を置く考え方には、はっきり言って疑問ばかりを感じてしまいます。

孤独は、孤独のためにあるのでしょう。人と繋がるためにあるとは、必ずしも言えないと思います。

一晩語り明かしても、何度身体を重ねても、人は、ひとりです。

強く抱き合っても、腕から漏れた背中は寒いのです。

私は、悲観的に語っているつもりは全くありません。

優しい孤独もあるでしょう。辛い孤独も、切り裂かれるような痛みを伴う孤独もまた、あるでしょう。

孤独の先を、一人になったその先を、私は見たいのです。多くの場合、人は孤独の厳しさや心地よさに溺れてしまいます。孤独の寂しさを抱え切れないのです。

孤独に対して、勝負を挑む必要はありません。孤独との間に勝ち負けという関係を発生させることは賢明ではありません。

私は、孤独を抱きしめます。寂しい二本の腕で、持てる限りの慈愛でもって、寂しさを、自分の愚かな感情を、抱え続けて歩いて行きます。道の途中で、重たいこの荷物を一緒に運んでくれる人とも、一時的には道連れになるでしょう。拒む必要はありません。でも、結局ずっと一人なのです。

哀しい道を、私は歩きます。そこに不幸はありますが、孤独が故に不幸なのではないのです。

寂しさに耐え切れず、泣いてしまうこともきっとあるでしょう。今までもありました。これからも、たくさんあります。でも、泣いてもひとりです。泣き止んだら、また立ち上がってひとりでゆくのです。

孤独の底から、私は叫びます。繋がりや連帯を求めて。でも、叫ぶ私は、ひとりです。ひとりで叫ぶのです。

自らの孤独と向き合う他の人々との共鳴を求めてしまうのは、私の幼さなのかもしれません。孤独の大地を掘り下げるうちに、私は幾人かの同志と知り合うでしょう。ただ、彼ら/彼女らとの関係も、当然永続する訳ではありません。また、どれだけ深く交わっても、背中の寒さは消えません。

それでいいのです。それが、いいのです。

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学生運動が提起したもの、或いは雑感としての雑感

今年の梅雨の頃に亡くなった私の父は、学生運動をしていた人でした。

父は、所謂「全共闘世代」よりはいくつか年少なのですが、それでも高校生の頃から、自分の通う高校(「当局」にあたるのでしょうか?)を相手に、何らかの交渉事をしたり、受験のために赴いた大学では、受験生でありながらも在学生(大学生)と一緒になって、受験生にビラを配ったりしていたそうです。

やがて関西地方の国立大学に進学すると、2年生時から副委員長か何かを任され、大学全体の運動を指揮したりもしていたと聞きました。

学生運動というものに対して、漠然とではあるものの、強い興味を持っていた私としては、父にいつか学生運動について色々と聞いてみたいと考えていたものの、そもそも父との関係があまり良くなかったので、つい後回しにしているうちに、父は逝ってしまいました。

父に学生運動のことを教えてもらいたかったのに、本当に悔やんでも悔やみきれません。そして、学生運動以外についても、父ともっと話をしたかった、という思いがあることも、ついでながら記しておきます。

また、1年間の浪人生時代に私が通った予備校には、学生運動を経験した講師が在籍していました。表三郎という、英語科の先生でした。彼については、学生運動を「経験した」という生半可なレベルではなく、理論的指導者として「率いた」のでしょうけれど、ともあれ、私は彼の授業がとても好きでした。浪人中に志望校を変えたのも、彼の影響によるものです。今、どうしていらっしゃるのでしょうか?

さて、私と学生運動との個人的な関わりはここまでにして、以下に、学生運動に関して、私が(理詰めで考えていることではなく)何となく感じたり、ぼんやりと思っていることを少し書いてみようと思います。出典らしい出典はありません。

今の日本で学生運動が再び起こることはない、と時々言われます。それはそうだと私も思います。今の社会情勢においてこそ、学生が立ち上がるべきなのかもしれませんが、今の大学生がそういうことを行うようには、少なくとも私には思えません。それが「愚民化政策」とか言われるものによるのかどうかについては、ここでは言及しません。

日本の学生運動は一過性のものでしかなく、ヨーロッパ諸国のそれと違って、制度としての「遺産」と呼べるものを残さなかった、という指摘も当たっているでしょう。学生運動に参加した学生の中に、4年生になるとスーツを着て就職活動を始めた人もいた、という話も聞きました。勿論、食っていくために就職を選んだ彼女/彼を責める気は毛頭ありませんが。

私が言いたいのは、戦後復興のただ中の、種々の社会問題が噴出し始めた1960年代という時代に、当時の学生たち(今と違って、大学進学率も低く、彼女ら/彼らは文字通り「エリート」でした)が命がけで提起した問題群の多くは、21世紀の現在においても、尚、解決されず「問題」であり続けているように思えてならない、ということです。

ただ、こうは書いたものの、私は彼らが提起した問題群が何であったのかを正確に知っている訳ではありません。そして、何となく流されるままに学生運動に参加した当時の学生たちの中にも、運動の目的を知らない者がいたのかもしれません。実際、「可愛い○○ちゃん(女子学生)が参加するらしいから、俺も参加してみようかな」という男子学生もいたようです。

ただ、十全な知識がないにもかかわらず、私は心情として、学生運動家たちに対して妙な親近感を覚えるのです。はっきり言って、私の同世代の人々(30代半ば)や、現在の大学生に対して持つのよりもずっと強い親しみを、父や表先生から聞いたり、本で読んだりした当時の学生たちに、感じるのです。私がずれているだけかもしれませんが。

私が常日頃から感じている問題、つまり、ジェンダーの問題や、日本社会の息苦しさの問題、或いは環境問題などが、恐らく全て、学生運動が提起した問題群の中に、完全な形であったか否かは分かりませんが、そして当時の学生たち(指導者層も含む)にも明確に認識できていたかどうかは定かではありませんが、含まれていたのではないかと思えてならないのです。

上に記したジェンダー、社会の息苦しさ、環境問題について、一つずつ考えを述べます。

ジェンダーの問題が、学生運動が盛んであった時代に、大きなうねりを伴う力強い社会運動になっていたかどうかは浅学にして知りませんが、現在より遥かに注目されていなかっただろうことは想像に難くありません。ストレートの男性である私からすれば、女性との関係をどう構築するかは人生における最大の課題の一つですが、このジェンダーの問題に関して、学生運動が何かを提起していた可能性があるのではないかと考えています。

学生運動の文献や資料を渉猟した訳ではないので、思いつきで書きますけれど、はっきりとジェンダーという語が使われた訳ではなかったでしょうが、人間(両性)がいかに関わり幸福を追求していくのか、ということは恐らく学生運動で提起された問題のはずです。江戸時代までの封建制を脱し、明治憲法下で起こった不幸な2つの大戦を経た後の時代にあって、当時の学生たちにも、人同士がどう関わり合うのが良いのか、ということは大きな関心事であったはずです。

経済の急成長を背景にして、人間の内面に注目が集まる中で、社会の息苦しさにも関心が向けられたと思うのです。ハンコを斜めに「お辞儀させて」押す風習とか、「地毛証明書」を提出させる公立の学校の校則とか、「目上」の人が言ったことに異議を唱えず盲従する文化とか、今なお私たちを苦しめている頑迷固陋な因習に対して、当時の学生たちが批判的にならなかったとは考えにくいのです。その批判が継続されず、制度的遺産にならなかっただけで。

環境問題についても、公害問題がクローズアップされた高度経済成長期に、学生たちが何の興味も示さなかったとは思えません。彼女ら/彼らは、今の学生たちよりもずっと、自分の住む地域との関係の中で自分というものをとらえていたはずです。父も、大学近くの被差別部落内の精肉工場に出向いて、その労働者たちとマルクスの『資本論』の勉強会をした話をしてくれました。現在の学生が、今いるのと違う環境を求める時には、留学しようとするケースが多いでしょうが、海外に出ることが今ほど容易でなく、インターネットもなかった時代の学生運動家たちは、当時なりのやり方で「連帯」を希求していたのでしょう。

以上は、本当に思いつきで記したものです。また、数多くの問題群の中の3つの問題しか取り扱っていません。更に言えば、学生運動には、その中から連合赤軍が生まれたという事実などの、負の側面もあります。美化し過ぎてはいけないことも分かっているつもりです。それでも、学生運動家たちの主張は、あながち間違っていなかっただろうと私は思います。学生運動の提起した問題群の中には、今でいうSDGsの萌芽のようなものがあったのだろうと感じています。

学生運動を経験した「全共闘世代」が亡くなる前に、彼らの経験を少しでも「遺産化」できるよう、聞き取ったり記録したりしておくすることは、今を生きる私たちや未来世代の「人間としての幸福」を追求することに資するものであるだろうというのが、今の私の考えです。

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詩0002:譚詩(バラード)

歪み腐りし水草が
奈落の底へと突き落とさんと

春咲きし花に、
春吹ける風よ

泉に女の息吹が声が

川よ!溢れ返りし叫びよ!
讃えん!母なる大地を…
火吹きし滝壺に、
怒りの制裁を加えん!
永遠に苦しまん彼の尼僧に、
永遠の苦しみを与えん!

嘆ける空よ!神に伝えん!
確かに今にその足元に、
平伏せし我を許し給えと!

雲よ!囁ける雲よ!
常に歌わん!イエスは来んと!
苦しめる民を救い給えと!

地を這える虫けらどもよ!木々に捧げん!
虹色に鈍色に濡れし足跡の…
流るる意志を持ちて、
天に昇れと!

孤高な我よ!友を持たんと!
育てる麦の芽を愛さんと!
高鳴る鼓動をうち止めん!
魂のみで叫び続けん!

狂える雄牛よ!妻に与えん!
若草萌ゆる大海原を!
神は与えん!聖なる牛を!
すり替えしとは何事ぞ!
見よ!天の裁きは今下されん!

海鳥どもよ、そなたらを
監視官にぞ、神は御定め下されん!
飛ばん!日輪の只その中を!
飛ばん!草木の生えぬオアシスを!
対岸に咲けるナルシスの花よ!

ライオンよ!走り駆け飛びつ、する者よ!
ヘーラクレースの喉笛を噛み裂いてくれん!
一切衆生を民と、神と崇めん!

音よ!天地の間に存りし全ての音よ!
叫ばん!風に乗り、もがける野山を、
鍛え争い、醜く太れる豚どもを、
その音のうちに焼き殺さん!

煙草の煙よ!光りし妖しき眼をせし犬を、
三日のうちに銃殺せんと!
神の兵よ!命は下らん!
いざ、故国の河を共に流れん!

…神よ!
…我は、神なり

2001.10.14.

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詩0001:大地揺るがす者達よ

大地揺るがす者達よ、汝等に告ぐ

火の粉を飛ばし黒煙を舐め

朧に映ゆる炎の中に

飛び急ぐさえあはれな雁の

黒き(かばね)は見ゆるのか

嗚呼弟よ君を泣く

相対主義の嵐の中を

泳ぎ切れずに培った

無駄な智識の該博な

君の可愛い口調にさえも

諦めなぞを見出して

黒い歯黒い()黒い髭

黒髪クローン黒人奴隷

汝滅べよ我が喜びを

かき立てかき立て

滅べや滅べ

われときて滅べや親のない雀

 

自註)上は、20年ほど前に作った詩です。フランスの夭折の作家Raymond Radiguetレイモン・ラディゲに憧れて小説家を目指していた高校生の頃に書いたものだと思われます。内容に関しての解説をする気はないのですが、「黒人奴隷」なる語は、「黒人」と称されるアフリカ系の人々が奴隷として扱われていた歴史的事実に言及しただけで、そこに差別的な意図はありません。

自註2)今後、今まで書き溜めていたものの、発表の機会のなかった詩や文章を少しずつ投稿いたします。

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眞子さまと小室圭さんのご結婚を、心から祝福したい。ただし、税金の使途についての納得のいく説明がなされた場合にのみ、ではあるが。

秋篠宮文仁親王のご長女の眞子内親王と、その大学の同級生である小室圭さんのご結婚に関する報道が、連日メディアでなされています。そして、その論調の多くは、小室さん本人や、その家族の過去を取り上げて、小室圭さんは皇族と結婚するにふさわしくない、と断じるものであるようです。

この件に関しての私見を述べます。タイトルにも書きました通り、私は「眞子さまと小室圭さんのご結婚を、心から祝福したい。ただし、税金の使途についての納得のいく説明がなされた場合にのみ、ではあるが」。

以下に、私の考えを解説します。

私は、基本的に、前途ある有為な若者二人の結婚なのですから、心から祝福したいと思います。本当にそう思う。眞子さまも小室さんも、学歴としてもキャリアとしても、本当に素晴らしいものをお持ちです。是非、頑張って頂きたいです。

ただし、一つの条件付きです。これをクリアできないのなら、私は彼らの結婚を祝福しません。

お二人のご婚約から来るべきご結婚までの間に、宮内庁から随分な額の支出がなされているとの報道があります。宮内庁から出たお金は、はっきり言って、税金です。「血税」と言い換えてもいいでしょう。この使途を明らかにし、適切でない使い方がされたお金については、不当に受け取り利益を受けた人物から、宮内庁宛に返還される必要があるでしょう。また、小室さんに関する他の疑惑を、気にかけるべきは眞子さまだけであって、眞子さまが問題視しないのならば、小室さんの疑惑群は、何ら問題ではないはずです。

ただし、税金の使途を明らかにさせる権利と、問題のある支出がきちんと返還されたことを確認する権利は、納税者である国民全員にあるはずです。私はそれを行使したい。

税金の使途の問題がクリアにならなくても、お二人のご結婚は、法的には成立するでしょうが、私としては、気持ちの上で、祝福するつもりにはなりません。

税金の使途を、どうか明らかにして下さい。そうすれば、お二人のご結婚をお祝いしたいと思える人の数が、きっと増えるはずです。

ここからは、少し脱線して、下世話な話をします。

報道を見ている限りにおいて、小室さんという人は、随分と疑惑を生む行動を取っているようです。勿論、あくまで疑惑ですので、調査した結果、小室さんには何ら問題はなかった、ということもあるでしょう。そうであってほしい。

でも、これだけ叩かれている小室さんとの結婚を、眞子さまは望んでいらっしゃる訳です。別の言葉で言えば、眞子さまは、こんなにも問題のあるとされる男性のことが、好きで好きで堪らない訳です。これ程までに麗しい話があるでしょうか?

皇族の方の話題なので、引き合いに出すのが適切かどうかは分かりませんが、ダメ亭主に尽くすお嬢様、みたいな古典落語によくありそうな設定です。

しかし、何故、眞子「さま」と平仮名で表記するのでしょうか?雅子「さま」も愛子「さま」も、「様」という漢字の表記にしないのは何故なんでしょうか?あと、眞子「さん」ではいけないのでしょうか?

話が逸れましたが、この国では、本人同士の合意があれば結婚できます。その合意はもう達成されているようです。あとは、税金の使途についての納得のいく説明がなされれば、私という国民は、お二人のご結婚を心から祝福することができます。早く、お祝いできるような環境が整うことを強く望みます。

私は、他人の幸せを、素直に祝福できる自分でありたいのです。

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A Letter to You:或いは哀しい近況報告

親愛なる君へ

僕は、君が誰であるのかをまだ知りません。それでも、誰だか分からない君に宛てて、渾身の力で手紙を書きます。僕はこれからも生きていくけれども、つまり、すぐに死ぬ気は微塵もないけれども、今の僕が、今、生きていることを、ここに書くことなしに、先に進むことができないことを知っています。

少し君の時間を頂戴したいのです。そして、僕の声に耳を傾けてほしいのです。

僕は、君に話を聴いてほしいのです。他の誰でもなく、君に聴いてほしい。でも、できることなら、勝手だけれども、僕の話を聴き終わったら、僕の話にコメントせずに、君のいつもの落ち着いた笑顔で「大変なんだね」とだけ言って、僕を抱き締めて下さい。できるだけきつく、ぎゅっと抱き締めて下さい。多分、僕は泣き出してしまうでしょうけれど、それでも、しばらく抱き締めていて下さい。僕は、最初のうちは甘えた声を出して、つまらないことを話し続けるでしょう。話半分以下で聞いてくれるのが適当だと思います。

ものの数分で、僕は眠ってしまうでしょう。希望的観測ですが、本当にすぐに、情けない顔をして口を薄く開けたまま、眠りに落ちてしまうはずです。

ここまで書いてきて、僕は、君が、僕の恋人の女性であることに改めて気付きました。僕は、君を、母性として表象して搾取するつもりでは決してないのだけれど、やはり君の胸に抱かれて、勝ちも負けもない世界に遊び、君の前でこそ張りたい見栄を、君の前だからこそかなぐり捨てたいのです。はっきり言うのはとても勇気が必要だけれど、やはり、言わなければ伝わらないので(言っても伝わらないでしょうが)、この恥ずかしい告白こそが格好いいのだと懸命に勘違いして、君に言います。

君の子供にして下さい。

君の子供にして下さい。

もう一度言います。

君の子供にして下さい。

自分で言うのはとても淋しいのだけれど、他の誰も言ってくれないので、自分で言いますが、この10年以上、僕は本当によくやってきたと思います。すごく頑張ってきた。自分の体調が悪いのに、それでも治療に専念できる環境ではありませんでした。母が癌で闘病して亡くなり、その後、父と弟に無料家事要員として、自殺を考えるまでこき使われました。何度も彼らに抗議をしました。僕は病人で障害者なのだ、と。家事をするために家にいるのではなく、働きに出られないから止むを得ずに家にいるのだ、と。

でも、彼らは結局取り合ってはくれませんでした。父は「家にいるのだから、家事をすればいいじゃないか」と当然のことのように言いました。「家事をすれば“いい”」というのは、どういうことですか?誰にとって、どう“いい”のですか?少なくとも、私には何の“良さ”もありませんでした。

彼らに使われていた間、僕は夜になって寝床に入るのが嫌で嫌で堪りませんでした。確かに、彼らに押し付けられた家事を全て終えたから、ようやく眠ることができるのですが、でも、横になって、寝入ってしまえば、必ずまた朝が来ます。朝になれば、家事をさせられるだけの一日がまた始まってしまう。僕が、病気をおしてワンオペ家事をしていると、その段取りが彼らの思った通りではないと怒られたり、訳の分からない思い出話に付き合わされたりするだけの、糞ほどの価値もない一日がまた始まってしまうのです。それが嫌で、本当に、死ぬこと、死んで楽になることしか考えられなかった。

結局、追い詰められて希死念慮が出てしまい、2度入院しました。彼らに入院させられました。入院中、主治医立ち会いの下、家事分担を決めて、一覧表にしましたね。でも、誰もそれを守らなかった。

何度も彼らに話し合いを要求しました。でも、話し合いに応じる必要をすら感じていない人たちが、僕の家族だったのです。僕の家事負担が大き過ぎるから、少しでも協力してほしい、と手紙も何度か書いたけれど、手紙の文章構成が非論理的だ、と添削するだけだったり、そもそも読まずに何日も机の上に放置して、ほこりをかぶってしまったのを見かねて僕が片付けたこともありました。

彼らに使われるのがあまりに辛かったので、大学に戻るという目標を諦め、彼らと住む家を出て、生活保護を受けながら一人暮らしをしようと考えたこともあります。彼らから避難したかったのです。自分の生存を確保したかったということです。実際にケースワーカーさんに相談して、家探しも始めました。でも、その旨を伝えた時、弟は特に興味のない顔で、「出て行くなら出て行けばいい」と言いました。面倒な他人事に関わりたくない、といった表情でした。父の説得で僕は家を出ることをやめましたが、結局、彼らの僕への仕打ちが変わることはありませんでした。

そうこうしている裡に、突然、父が脳出血で倒れ、植物状態になってしまいました。新型コロナウイルス流行の折、父の入院する病院には、父が亡くなるまでの1年半の間ほとんど面会に行くことができませんでした。さて、弟と二人の生活が始まりましたが、彼は、僕に家事を全てさせるのが当たり前という考えを捨てることはなかったようで、弟が仕事を終えて帰宅した際に、僕が体調が悪くて横になっていると、いきなり逆上することをやめませんでした。片付いていないシンクを見て、自分の夕食ができていないことに気付くと、途端に足音を大きくしたり、冷蔵庫に膝蹴りしたりすることは、彼にとって自然なことであり続けています。

普段、弟は家事のシステム全体を考え直すことが必要だとか、何事もいきなり手を動かすのではなく、まず頭を使って優先順位を付け、効率よく終わらせるべきだとか、無駄な作業には1秒も時間を割きたくないとか、分かったようなことをたくさん言います。でも、彼がこれらの行動を取ることは、僕の見る限り、全くありません。

僕が夕食を作れずに倒れているのは、家事システムが根本的に間違っているからです。作業人員が2人いるのに、1人しか作業しないシステムが、そもそも間違っているのです。優先順位を付けるのが大切ならば、弟が真っ先にすべきは、怒って足を踏み鳴らすことでも、冷蔵庫に膝蹴りをすることでもなく、横になっている私に「大丈夫?どんな具合なの?」と声をかけることであるはずです(実際、そうしてほしいと頼みました)。そういうことも分からない人に、何が無駄な時間なのかの判断が付くとは到底思えません。

これは、君への手紙です。本当は、君への愛を重たいくらいに詰め込んだ手紙を書くつもりでした。君が僕にとってどれだけ大切で、僕の頭がどれだけ君で一杯かを、身を切るような誠実さでもって綴るつもりでした。でも僕は、僕の頭を、その愚かさでもって完全に満たしただけでは飽き足らず、僕の頭からはみ出して暴れ狂っている弟の幼い甘えを、君に訴えかける手紙を書いてしまいました。君は怒らずに、僕を見捨てずに、この手紙を最後まで読んでくれますか?僕はとても不安です。

僕は、知り合って随分経った今でも、やはり君に興味津々です。もっともっと君のことを、君の全てを知りたいと、強く思います。君が靴をどちらの足から履くのかとか、天気がいいと嬉しくなるのか悲しくなるのかとか、君の全部がほしいのです。

でも、今は、哀しいけれど君の話を聞くことはできません。端的に言って、インプットする余地がないのです。頭から溢れる害悪を吐き出してしまわないうちは、空き容量はゼロです。僕が、廃棄物を処理して、真人間に戻る作業に、僕は君に立ち会ってほしいのです。君に頼りたいと思う僕の気持ちを、君は抱き締めてくれますか?

僕の近況報告を、君がどんな気持ちで読んでくれたのかを知りたいけれど、勢い込んで話してくれるだろう君の話を聴く余裕が今の僕には本当にないことを、もう一度書かせて下さいね。

自宅近くで撮ったタマムシの写真を、この前君に送りましたね。贈りましたね、と書くべきでしょうか?君は、虫はあまり好きではないと言いながら、タマムシは綺麗だね、顔が案外可愛いんだね、と喜んでくれましたね。多分、今の僕に必要なのは、そういった、何てことない会話なのでしょう。

ここ数日、僕の生活リズムは完全に崩壊しています。弟が帰宅する時刻の数時間前からとても憂鬱になるのはいつものことですが、ここのところ生活が大きく変わりつつあることとも相まって、体調が乱れ、先週は精神科の診察にもカウンセリングにも行けませんでした。今も、一晩中起きていた後、弟が苛々しながら出社する支度をする様を横目で見ながら、この手紙を書いています。

繰り返しになりますが、僕は、君のことを知りたいです。でも、今はそれ以上に僕のことを知ってほしいのです。今の僕がどういう状態なのか、どんな環境で歯を食いしばって未来に目をこらしているのか、それが今の僕の全てだからです。君が辛い状況にいることは、この前会った時に聴いてよく知っています。君のその苦労を分かち合いたいと思う、僕の偽りのない真心を、この手紙に乗せて飛ばします。君のもとに真っ直ぐに軽やかに飛んで行く言葉の力を、僕はただ信じています。

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河村たかし名古屋市長が噛んだ金メダルを「交換する」必要がある理由は“汚いから”なのか?

このところ連日、名古屋市の河村たかし市長が、東京オリンピックの金メダリストの表敬訪問を受けた際に、その選手の金メダルを噛んだことが大々的に報じられています。

はっきり言って、一から十まで河村市長が悪いとしか言えません。「メダリスト(メダルの持ち主)に断りなしに」「このコロナ状況下でマスクを外して」「メダルを噛んだ」のですから、正気の沙汰とは思えません。ここは強調しておきます。彼が悪い。

その後、河村市長の噛んだ金メダルが交換されることになったようです。これに関して、交換費用を誰が負担するのか、とか、金メダルの持ち主の意向が尊重されているのか、とか、様々な論点に対して、様々な意見が飛び交っています。

他のメダリストやアスリート達も、SNS等で河村市長を批判しているようです。当然のことだと思います。自分の人生の全てを懸けて、多くの支援者と共に勝ち取った、とてつもなく価値のあるメダルなのですから、それを安直に噛んだ河村市長に、弁明の余地は微塵もありません。

さて、ここで私が問題にしたいのは、こういったことではなくて、金メダルを交換することの「理由」なのです。

交換が必要だ、ということは、即ち、交換される対象は、交換されることなしには用をなさない状態である、ということです。この場合で言えば、噛まれたメダルは、交換されることなしにメダルとして機能しない、ということになります。

次に、メダルとして機能しないとはどういうことか、と考えてみます。ここからは、メダルをもらったことなど一度もない私の推測ですから、おかしなことを書いていましたら、感情的にけなしたりせずに、穏やかにかつ論理的に誤りを指摘して下さいね。生産的にいきましょう。

まず、河村市長に噛まれたことで、メダルの持つ「意味合い」が損なわれたのだ、という主張に反論することは難しいでしょう。しかし、メダルは、交換されることによって、もっと言えば、交換されさえすれば、損なわれた「意味」を(どの程度)回復することができるのでしょうか。ここには少し疑問が残ります。

続いて、メダルが、河村市長に噛まれたことによって「物理的に汚損された」場合を考えてみましょう。この場合、考えられるのは、河村市長の「歯型が付いてしまった」ケースでしょう。しかし、私がニュース報道を調べた限りでは、そういった話は目にしませんでした。また、「軽く噛んでみせる」という「パフォーマンス」によって、金属製のメダルに歯型が付くとは思えません。河村市長はものすごくあごの力が強い、という話も聞いたことがありません。

「物理的に汚損された」もう一つの例として、河村市長の唾液が付着した、という場合を考えてみましょう。特にコロナウイルスが蔓延するこの時期において、赤の他人の唾液が付着した物に忌避感を持つのは当然です。ましてやそれが大切な大切なメダルなのですから、不愉快だという感情を、メダルの持ち主が持つのは当然です。

ただ、安易な発想かもしれませんが、唾液なら拭けば取れるのではないか、と私は考えてしまいます。もし、清拭では間に合わず、徹底的なクリーニングが必要で、それを専門のクリーニング業者に依頼する、というのであれば、クリーニング費用を河村市長が負担する、ということになる訳で、これは筋の通った話です。

でも、交換が必要だ、という話になっている以上は、メダルは、清拭では間に合わない状態である訳です。具体的にどういった状態なのかは報道されていませんけれど(そして報道されるべきではないでしょうけれど)、やはりもう、メダルとして機能しない状態になっている、と考えざるを得ません。

ここまで考えてきた時に、一つの考えが私の頭に浮かびました。つまり、一言で言うと「汚いから換えてくれ」という話なのではないか、と思ったのです。

つまり問題は、物理的な汚損でもなく、メダルの持つ価値が損なわれたこと自体でもなく、「河村市長が」噛んだことが問題なのではないでしょうか。

河村市長が持つ、不快な感情を喚起しかねない属性の筆頭は、残念ながら「おじさん(中高年男性)」であること、ではないでしょうか。

更に考えを進めます。お断りしておきますが、この件で責められるべきは河村市長ただ一人です。また、金メダルを獲得したアスリートにも言及していますが、言及することと非難することは全く違います。私は、当該メダリストを擁護はしても、非難する気は少しもありません。

メダルを噛んだのが河村市長でなかった場合、を考えてみましょう。たとえば、ものすごいイケメン俳優だったら?美貌で知られるハリウッド女優だったら?メダルの持ち主が大ファンであると公言しているお笑い芸人だったら?または、メダルの持ち主の愛犬だったら?マスコミや、市井の人々の反応は、そして、メダリスト本人の反応は、河村市長が噛んだ場合とどう違うでしょうか?

ここから更に慎重に書き進めます。あくまで仮定の話ですが、メダリストが憧れる美形の俳優(性・ジェンダー不問)が噛んだのなら、ひょっとしてメダリストの反応は「〇〇さんに噛んでもらった!嬉しいから一生洗わない!」みたいにならないでしょうか?または、メダリストの親御さんが噛んだのなら、「もう、お母さん、私のだよ笑」なんて言葉は生まれなかったのでしょうか?

これは、裏を返せば、そういう風に「笑って済ませられる」関係であるか否かを、河村市長が認識できていなかった、ということでもあります。その点でも、彼は責められねばなりません。

メダリストと親しい間柄である人が噛んだのならば(勿論、メダリストと親しくなるような人はメダルを噛んだりしないでしょうが)、特に問題にならないケースが、「交換」が必要な事態にまでなっている今回の一件に関して言えることは、問題になっているのは、物理的な汚損よりも、メダルの意味合いが損なわれたこと自体よりも、「河村市長が」噛んだことなのでしょう。

この件に関しては、マスコミが過剰に騒ぎ立てているのではないか、という意見もあるようです。河村市長を悪者に仕立て上げ、事態をことさらに大きくして、視聴率を取ろうとしているとも言われているようです。

河村市長を悪者に仕立て上げやすいのは、ほぼ間違いなく、彼が「おじさん」だからでしょう。今の日本で、「おじさん」を悪く言うことに異論を唱える人はあまりいません。「おじさん」を“下げて”おけば間違いない、という共通了解のようなものって、はっきり言って存在していると思います。

でも、「メダルの交換が必要なほどに」河村市長は「汚い」イメージなのでしょうか?彼は、そこまで「不潔な」「不快な」人物なのでしょうか?私には分かりません。

確かに、メダルの持ち主が「交換してほしい」と言ったならば、その意向は最大限尊重されるべきです。しかし、私は、そのアスリートに、「なぜ交換が必要なのか」と質問してみたくて堪りません(勿論、私が質問する機会など、絶対に設けられてはなりませんが)。「交換が必要なのは、メダルを噛んだのが河村市長だったからなのですか?」と。

「物理的に汚損された」メダルは、どうあっても交換されなければなりません。しかし、ものの分からない、立場だけはある政治家が「噛む真似をした“程度”では(わざと軽く言いますが)」メダルの価値は、たとえ物理的に汚損されていたとしても、全く損なわれないと私は信じます。変わらずに世界一の輝きを放ち続けているはずです。そして、その持ち主であるアスリートは、その輝きにふさわしい方なのです。

政治家の不愉快な言動にいつまでも固執するよりも、メダルの輝きや、その裏にある努力の尊さにこそ、目を向けたいと私は思います。

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コロナウイルスのラムダ株の国内初確認の公表時期が、オリンピック後・パラリンピック前だったことは、障害者差別的に見えかねない。

今年7月に、オリンピック関係者で、南米ペルーに滞在歴のある女性から、コロナウイルスのラムダ株が見つかった、との報道がされています。

そして、7月の段階で分かっていたこの事実を、オリンピック閉幕まで、日本政府が公表しないでいたのではないか、つまり隠蔽していたのではないか、とも言われています。

多分、隠蔽していたのだろう、と思わざるを得ません。公表することによって、オリンピックが開催できなくなることを恐れたのだろう、と私でなくても思うことでしょう。

ただ、障害者である私は、こうも思うのです。オリンピック閉幕まで隠蔽して、その後公表した、という仮定が、もし仮定でなく事実だとするならば、それは即ち、パラリンピック開幕前に公表した、ということですよね。

ラムダ株の国内での確認を公表することで、開催しにくくなるのは、オリンピックもパラリンピックも同じだということを考えると、オリンピックは開催できないと困るけれど、パラリンピックは開催できなくてもよい、というのが日本政府の考えなのでしょうか?

ラムダ株に感染した女性が、オリンピック関係者であって、パラリンピック関係者ではないから、パラリンピックの前に公表しても、パラリンピックは開催できる、という声も聞こえてきそうですが、それも詭弁に聞こえます。オリンピックでもパラリンピックでも、世界中から選手団やマスコミが日本に来るのは同じですから。

ここですぐに、いわゆる健常者のスポーツの祭典であるオリンピックと、いわゆる障害者のそれを単純に比較して、ラムダ株確認の公表時期が、障害者差別的だと喧伝するのは、あまりに安直かもしれません。日本政府が公表時期を決めた理由は、他にもあるかもしれませんしね。それに、日本政府がラムダ株の確認を公表せずに隠蔽していた、と言い切ること自体が、証拠不十分で、できることではないでしょう。

しかし、ラムダ株の国内初確認が、オリンピックの後・パラリンピックの前に公表された、という事実は、やはり重く受け止められねばなりません。

なぜこの時期に公表されたのか、ということをこそ、マスコミの方々には追求・報道してほしいと切に願います。