このところ連日、名古屋市の河村たかし市長が、東京オリンピックの金メダリストの表敬訪問を受けた際に、その選手の金メダルを噛んだことが大々的に報じられています。
はっきり言って、一から十まで河村市長が悪いとしか言えません。「メダリスト(メダルの持ち主)に断りなしに」「このコロナ状況下でマスクを外して」「メダルを噛んだ」のですから、正気の沙汰とは思えません。ここは強調しておきます。彼が悪い。
その後、河村市長の噛んだ金メダルが交換されることになったようです。これに関して、交換費用を誰が負担するのか、とか、金メダルの持ち主の意向が尊重されているのか、とか、様々な論点に対して、様々な意見が飛び交っています。
他のメダリストやアスリート達も、SNS等で河村市長を批判しているようです。当然のことだと思います。自分の人生の全てを懸けて、多くの支援者と共に勝ち取った、とてつもなく価値のあるメダルなのですから、それを安直に噛んだ河村市長に、弁明の余地は微塵もありません。
さて、ここで私が問題にしたいのは、こういったことではなくて、金メダルを交換することの「理由」なのです。
交換が必要だ、ということは、即ち、交換される対象は、交換されることなしには用をなさない状態である、ということです。この場合で言えば、噛まれたメダルは、交換されることなしにメダルとして機能しない、ということになります。
次に、メダルとして機能しないとはどういうことか、と考えてみます。ここからは、メダルをもらったことなど一度もない私の推測ですから、おかしなことを書いていましたら、感情的にけなしたりせずに、穏やかにかつ論理的に誤りを指摘して下さいね。生産的にいきましょう。
まず、河村市長に噛まれたことで、メダルの持つ「意味合い」が損なわれたのだ、という主張に反論することは難しいでしょう。しかし、メダルは、交換されることによって、もっと言えば、交換されさえすれば、損なわれた「意味」を(どの程度)回復することができるのでしょうか。ここには少し疑問が残ります。
続いて、メダルが、河村市長に噛まれたことによって「物理的に汚損された」場合を考えてみましょう。この場合、考えられるのは、河村市長の「歯型が付いてしまった」ケースでしょう。しかし、私がニュース報道を調べた限りでは、そういった話は目にしませんでした。また、「軽く噛んでみせる」という「パフォーマンス」によって、金属製のメダルに歯型が付くとは思えません。河村市長はものすごくあごの力が強い、という話も聞いたことがありません。
「物理的に汚損された」もう一つの例として、河村市長の唾液が付着した、という場合を考えてみましょう。特にコロナウイルスが蔓延するこの時期において、赤の他人の唾液が付着した物に忌避感を持つのは当然です。ましてやそれが大切な大切なメダルなのですから、不愉快だという感情を、メダルの持ち主が持つのは当然です。
ただ、安易な発想かもしれませんが、唾液なら拭けば取れるのではないか、と私は考えてしまいます。もし、清拭では間に合わず、徹底的なクリーニングが必要で、それを専門のクリーニング業者に依頼する、というのであれば、クリーニング費用を河村市長が負担する、ということになる訳で、これは筋の通った話です。
でも、交換が必要だ、という話になっている以上は、メダルは、清拭では間に合わない状態である訳です。具体的にどういった状態なのかは報道されていませんけれど(そして報道されるべきではないでしょうけれど)、やはりもう、メダルとして機能しない状態になっている、と考えざるを得ません。
ここまで考えてきた時に、一つの考えが私の頭に浮かびました。つまり、一言で言うと「汚いから換えてくれ」という話なのではないか、と思ったのです。
つまり問題は、物理的な汚損でもなく、メダルの持つ価値が損なわれたこと自体でもなく、「河村市長が」噛んだことが問題なのではないでしょうか。
河村市長が持つ、不快な感情を喚起しかねない属性の筆頭は、残念ながら「おじさん(中高年男性)」であること、ではないでしょうか。
更に考えを進めます。お断りしておきますが、この件で責められるべきは河村市長ただ一人です。また、金メダルを獲得したアスリートにも言及していますが、言及することと非難することは全く違います。私は、当該メダリストを擁護はしても、非難する気は少しもありません。
メダルを噛んだのが河村市長でなかった場合、を考えてみましょう。たとえば、ものすごいイケメン俳優だったら?美貌で知られるハリウッド女優だったら?メダルの持ち主が大ファンであると公言しているお笑い芸人だったら?または、メダルの持ち主の愛犬だったら?マスコミや、市井の人々の反応は、そして、メダリスト本人の反応は、河村市長が噛んだ場合とどう違うでしょうか?
ここから更に慎重に書き進めます。あくまで仮定の話ですが、メダリストが憧れる美形の俳優(性・ジェンダー不問)が噛んだのなら、ひょっとしてメダリストの反応は「〇〇さんに噛んでもらった!嬉しいから一生洗わない!」みたいにならないでしょうか?または、メダリストの親御さんが噛んだのなら、「もう、お母さん、私のだよ笑」なんて言葉は生まれなかったのでしょうか?
これは、裏を返せば、そういう風に「笑って済ませられる」関係であるか否かを、河村市長が認識できていなかった、ということでもあります。その点でも、彼は責められねばなりません。
メダリストと親しい間柄である人が噛んだのならば(勿論、メダリストと親しくなるような人はメダルを噛んだりしないでしょうが)、特に問題にならないケースが、「交換」が必要な事態にまでなっている今回の一件に関して言えることは、問題になっているのは、物理的な汚損よりも、メダルの意味合いが損なわれたこと自体よりも、「河村市長が」噛んだことなのでしょう。
この件に関しては、マスコミが過剰に騒ぎ立てているのではないか、という意見もあるようです。河村市長を悪者に仕立て上げ、事態をことさらに大きくして、視聴率を取ろうとしているとも言われているようです。
河村市長を悪者に仕立て上げやすいのは、ほぼ間違いなく、彼が「おじさん」だからでしょう。今の日本で、「おじさん」を悪く言うことに異論を唱える人はあまりいません。「おじさん」を“下げて”おけば間違いない、という共通了解のようなものって、はっきり言って存在していると思います。
でも、「メダルの交換が必要なほどに」河村市長は「汚い」イメージなのでしょうか?彼は、そこまで「不潔な」「不快な」人物なのでしょうか?私には分かりません。
確かに、メダルの持ち主が「交換してほしい」と言ったならば、その意向は最大限尊重されるべきです。しかし、私は、そのアスリートに、「なぜ交換が必要なのか」と質問してみたくて堪りません(勿論、私が質問する機会など、絶対に設けられてはなりませんが)。「交換が必要なのは、メダルを噛んだのが河村市長だったからなのですか?」と。
「物理的に汚損された」メダルは、どうあっても交換されなければなりません。しかし、ものの分からない、立場だけはある政治家が「噛む真似をした“程度”では(わざと軽く言いますが)」メダルの価値は、たとえ物理的に汚損されていたとしても、全く損なわれないと私は信じます。変わらずに世界一の輝きを放ち続けているはずです。そして、その持ち主であるアスリートは、その輝きにふさわしい方なのです。
政治家の不愉快な言動にいつまでも固執するよりも、メダルの輝きや、その裏にある努力の尊さにこそ、目を向けたいと私は思います。