totteruです。
今日は、精神疾患者としての私の、読書との関わり(発症後のそれ)を書いてみようと思います。
同じ病に苦しむ方の参考に少しでもなれば嬉しい限りです。
さて、自己紹介の頁にも書きましたが、私は研究者志望です。
双極性障害のために中退した大学に再入学し、大学院に進んで研究者になりたいのです。
同級生より10年以上勉強が遅れている今でも、本気でそう考えています。
ところが、ここに大きな問題があります。
主に精神疾患のために、読書が出来ないのです。本が読めずに困っています。
私は文系で、特に社会科学と呼ばれる分野の専攻なので、とにかく読書量が求められるのですが、精神疾患の患者さんならおわかりでしょうけれど(そうでもないでしょうか)、活字を読んで批判的に検討する、といった高度な頭脳活動を行えるほど、脳の状態に余裕がないのです。
それどころか、2~3年前までは、活字が追えませんでした。
これはどういうことかと言いますと、例えば日本語の文章を読んでいて、それが縦書きだとして、文章を構成する行(ぎょう)と行とが交錯して見える状態だったのです。
目はちゃんと見えていましたので、脳が正しく認知出来ていなかったのでしょう。
これでは内容を読み取るどころではありません。
(その割に、その時期にC.ギアーツなど読んでいました。本を選ぶ能力ゼロですね。当然、全く頭に入りませんでした。)
その時期は、何とか読書の能力を取り戻さなければならない、と焦りまくっていました。
かなり色々な本を選んできてはトライした記憶があります。
ですが、小説や物語は、見たくもありませんでした。病気になる前は大好きでよく読んでいたのですが、何故か興味が全く湧きませんでした。登場人物の感情の揺れ動きや、心理描写についていける気がしなかったからだろうと思います。そういうものをこそ書くのが、小説であり物語なのでしょうけれど、こちらは自分の感情だけで手一杯というか、手一杯どころでは全然利かない状態でしたから、他人の感情になど付き合っていられませんでした。
時々は、読めている感触がある時があったのですが、今思えば感触だけで、実際には読めて(理解できて)いなかったのでしょうね。とはいえ、感触だけでも得られたというのも、行同士が交錯する状態だったことを考えると、何とも不思議です。
次のような読み方をしていた時も、上記の時期の中にありました。
今考えると、ひどいうつ状態だったのでしょう、1見開き当たり10~20箇所の文言を抜き出しては、自分自身の在り方や来し方とひき比べ、
「著者はこういう発想をしているが、自分にはその発想はできるか。多分無理だろう。何故無理なのか…。ああでもない、こうでもない!!!」と延々と考え込んだり、
「こういう表現を自分は使えるか。出来っこない。私はやっぱり能力のない人間だな!!!」と自分を責めたりしていました。
これは、今ではある種の自傷行為にも思えます。辛かったです。
現在はどうなのかと言いますと、やはり読書はもの凄くしんどいです。
読みやすい軽い新書などを含めて、年間30冊くらい読むのがやっとです。
当然難解な論考や英文などは少しも読めません。
(自慢ではなく、どれくらい読書の力が落ちたかを示す例としては、大学3年の時には、レポートを書くために一晩徹夜して英文200頁を読んだこともあったのですが(さすがに精読ではありませんが)、今では英文は目がチカチカするだけで全く受け付けません。)
ただこの先、研究者になるにはどうしても読書能力を取り戻さねばなりません。
試行錯誤は続きます。
totteruでした。