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精神疾患

【新説】WAIS-IVの捉え方について

私のWAIS-IV(ウェクスラー式知能検査)の4つの群指数を見ると、言語理解(VCI)とワーキングメモリ(WMI)が高く、知覚推理(PRI)が少し低く、処理速度(PSI)がかなり足を引っ張っている状態である。

「足を引っ張る」という表現だとネガティヴに響くが、例えばこう考えてみるのはどうだろう。

WAIS-IVのスコアを擬人化し、4人1組の「4人5脚」競争のチームだとする。この1チームが「私」(FSIQ)である。チーム編成は、

・大人2人(言語理解、ワーキングメモリ)

・中学生1人(知覚推理)

・小学生1人(処理速度)

である。想像してみよう。

大人に混じって、小さな身体と未発達の体力で奮闘する中学生と小学生。チームに迷惑をかけるまい・少しでもチームに貢献しようと必死に走る姿は、とても「健気」に映る。ネガティヴに捉えようという気など最早微塵も起きない。ただただ応援したくなってしまう。

こう考えると、自分の弱点を否定的にではなく、前向きに捉えることができそうですよね。

…WAIS-IVを4人5脚のチームだとみなすのは、我ながら良い例えだったなー(自画自賛)

蛇足ですが、本当の4人5脚ならば、配置・並び順はとても大切ですよね笑

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精神疾患

自己中心的であることと「自閉」的であること。

私は、昔から自分の話をしがちである。自覚はあるのだが、なかなかやめられない。とはいえ人間は、基本的に自分の話をしたがる/聴いてほしがるものだけれど。

自分のことばかり話したり、自分だけを優先して他者を顧みなかったりすることを、私たちは否定的なニュアンスを込めて「自己中心的」と評する。

私は長く自分が自己中心的だと信じて疑わなかったが、最近、私は自己中心的というよりむしろ「自閉」的なのではないかと考えるようになった。実際、私にはASDという診断が付いている。

確かに、「自閉」という言葉は(ASD当事者にとってすら)理解しにくいものだし、私とて「自閉」なる訳語が、必ずしもその実態を表していないものだとされていることは、さすがに知っている。

私が自分のことばかり話してしまうのは、「自閉」傾向があるために、自分および、自分と密接な関わりのある他者(つまり、「自分の延長」とか「ほぼ自分」、「自分の一部」などとみなされるもの)に対してしか想像力が働かないからではないか?「自分」および「自分の延長/ほぼ自分/自分の一部」の外側にある人や物・事が、「自閉」傾向のある私にとっては認識できないもの・存在しないものであるからこそ、私は自分の目に見えるもの・自分にとって存在するとみなせるものの話だけを、要するに、「自分」の話だけをしてしまうのではないだろうか?

そして、「自閉」についてよく知らない人や定型発達の人の目には、そうした私のような話し方が「自己中心的」に映るのではないか?それらの人には、「自己中心的」であることと「自閉」的であることは、きっと殆ど同じに見えるのだろうから。

上記は、精神医学者でも心理学者でもない、ASDの一当事者の私見である。ただ、少なくとも私にとっては重要なアイデアの萌芽だと判断したので、こことGRAVITY(通話アプリ)の投稿欄に書き留めておく。このテーマについては、今後、このブログにて少しずつ掘り下げていくつもりだ。

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その他

【レシピ001】ピーマンのポン酢漬け

現在、私は誤診が晴れた後の体調管理の一環として、オーソモレキュラー療法を行っています。オーソモレキュラー療法そのものについて及びそれを導入するに至った経緯については別稿に譲りますが、毎日の食事を工夫する中で、私は少しずつ料理を楽しむようになってきました。その中で思い付いた(考案した)レシピのいくつかを備忘録がてら投稿します。記念すべき第1回目は、「ピーマンのポン酢漬け」です。

私は夏野菜が大好きで、毎年、夏になると複数の野菜を自宅で漬けているのですが、その中でも出色なのがこの「ピーマンのポン酢漬け」です。何人かの知人にもレシピを紹介したところ、概ね大好評でした。

一応、私のオリジナルレシピのつもりですが、この程度のものは、誰かがとっくに思い付いているだろうとも思っています。

●ピーマンのポン酢漬け

1.ピーマンを軽く水洗いした後、へたと種を取り除き、1片あたり3~4切れに手で割る。包丁で切っても構わないが、手で割った方が断面が複雑になり、ポン酢の染み込みが良くなる。

2.耐熱容器に1.を入れ(蓋をした方が良いと思います)、色が少し悪くなるまでレンジで加熱する。加熱の目安時間は、500Wで4~6分です。

3.2.が熱いうちにポン酢をかけて軽く混ぜる(ポン酢の量は、容器の底に少し溜まるくらい)。この時に鰹節をかけても美味しい。

4.3.を、粗熱を取った後に冷蔵庫に入れて半日ほど漬ける。ピーマンにポン酢が染みて茶色くなったら出来上がり。私は、冷蔵庫で保存して、2~3日で食べ切るようにしています。冷蔵庫から出して器に盛り、冷製おかずとして食べると美味しいです。

上記の通り、私は夏にきゅうり、茄子、オクラ、にら(これは真夏というより初夏までが旬ですが)等を漬けていますが、野菜の漬け物って醤油味ばかりになってしまうんですよね。何か醤油以外の調味料で漬けられないかと考えていた時に、「ピーマンならポン酢と相性が良さそうだ」と試してみたら大正解で、ここ数年は我が家の夏の定番になっています。暑い夏に是非どうぞ。

作ってくださった方は味のご感想をお願いします。

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ツイッター始めました。

ツイッターを始めました。

今年3月からツイッターを始めました。ブログを書くのは楽しいのですが、頭の中身を言語化する営為を負担に感じることも少なくありません。
そこで、ツイッターに小さなアイデアを書き留め、それらをいくつかまとめたり掘り下げたりしてブログ記事を書くことにしました。タスクを小分けにしてこなすイメージです。

@totteru.jp

です。是非ご覧下さい。

ツイッターの投稿は、このブログのように一まとまりの考えを綴ったものではありませんが、字数の制約がある分、個別の小さいテーマについての(基本的に)完結したアイデア(或いはその萌芽)を凝縮して書いています。

ご一読下さい。

●追記(2024年4月13日):

先日、X(旧Twitter)をやめてしまいました。とはいえ、アイデアの萌芽(上記参照)を書き留める場所はやはり私にとって必要なので、別の媒体を探しているところです。

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ウクライナにいる私の友人へ

そちらはとても寒いでしょうね。

まだ会ったことのない君に、これからも会うことのないかもしれない君に、それでも手紙を書かずにはいられないので、私はウクライナ語もロシア語もできないけれど、私の考えを一番に乗せてくれる言語で、君への思いを綴ります。

世界の、これ以上の劣化に対して毅然とノーを唱えることは、人間の義務であると考えるからです。

日本は今、早朝です。内向きな若者が増えたと言われるこの国にも、君や君の祖国を思って憤り泣く人々がいます。私もその一人です。しかしそうは言いつつも、私たち人間はまた、善意で悪行をなし得ます。君や君の祖国のためと謳いながら、そして本当にそう信じていながらも、どうすれば大切な友人に平和と安寧を届けられるのかを正確に考えることができないままに、却って君や君の祖国に対して更なるダメージを与えてしまっている人々がいることも否定できません。憤るにも泣くにも、心配するにも援助するにも、それ相応のやり方があるのです。

さて、日本の戦国武将に、織田信長という人がいました。その人から数えて16代目の直系の子孫が、織田信成というフィギュアスケートの元選手です。君も、彼のことを知っているかもしれませんね。信成さんは、感情豊かな人で、少し高い声で話し、よく涙を流します。先般見たテレビ番組で、彼の先祖にあたる信長は、当時の文書によると、すぐに腹を立てて甲高い声で怒鳴る人であったそうです。また、信長の肖像画は、子孫である信成さんによく似ているのだそうですが、その頭蓋骨の形から推測される声質はかなり高いものであったそうです(文書の記述と合致しますね)。人間の声というのは頭蓋骨に共鳴させて発するものなのだそうで、頭蓋骨の形からある程度まで声質を推測できるのだそうです。

ということは、今から400年前に織田信成さんに似た人が天下統一を目指す武将としてこの国にいたと考えることができます。見た目も、声質も、そして恐らく感受性豊かなところまでも似通った武将が、織田信長と名乗って、天下布武とか楽市・楽座とか言っていた訳です。もっと勝手な空想をすれば、400年前経っても内面も外見もあまり大きくは変わらないのならば、800年経っても、1200年経っても、現代の私たちとそう大きくは変わらない人々が、この国に生きていたと考えることができます。

1200年前といえば、私の住む古都に都があった頃です。と考えると、私のように大柄で骨太で偏屈で、でも寂しがり屋な男性がこの国に住んでいたのです。そしてきっと、男の考えることなんて昔も今も、「腹減ったな」とか「仕事だるいな」とかいったことでしょう。もっと言えば(ここから先は、フェミニストには批判されることでしょう。問題を含んだ考え方であることは私も認めます。そして、改めてゆきたい考えであることも述べておきます。上に書いたように「善意で悪行をなしている」意見かもしれません。ただ、自分と遠く離れた時代に生きた人に対する想像力を駆使するための、極めて卑近な私なりの提案だと思ってお読み下さい)、毎日「〇〇ちゃん可愛いな」とか「△△さんはスタイルいいな」とか「××したいな」とかばかり考えていたことは想像に難くありません。私はいつも都の跡を通るたびに、この場所で暮らしていた1200年前の自分の視点を想像します。

こうやって、自分で簡単な「補助線」を引くことで、人の想像力は容易に翼を得ます。内向きな人間も、その場にいながらにして、君の祖国に住むことができます。戦火の消えない、愛しい大地に、来年のための種を蒔くことができるはずです。

今、足りないのは、そして最も強く求められているのは、人間の想像力です。想像力を駆使しないのは、人間の叡智に対する許しがたい冒涜です。知性に裏打ちされた想像力を、人間を人間たらしめるそれを、今こそ結集する時です。今より少しでも人が人に優しくなるために、世界をわずかにでも豊かにするために、私たちは、今この瞬間に、学びを祈りを、そして具体的な行動をとめてはなりません。

日本では(主に東日本以西のようですが)、春になると、門出や旅立ちを祝うかのように桜の花が咲きます。君の国にも、綺麗な桜が咲きますように。私たちは、いつも君と君の祖国とともにあります。

君の長い返信を、心待ちにしています。

君の日本の友人より

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寂しさを抱きしめて、或いはひとりで孤独に向き合うこと

11月も半ばになると、関西も結構寒いです。気の合わない弟と二人暮らしで、お付き合いする相手もいない私ですので、毎日寂しさを抱えて暮らしています。

私はもう10年以上、精神科に通院していますので、体調の悪さも孤独を募らせます。

孤独と孤立との違いだとか、自分で選び取った孤独か否かなど、孤独という言葉を考える際には論点が多くあるように思います。

今回私が考えたいのは、表題の通り、同じ方向を向いて「寂しいね」「うん、哀しいね」と言い合ってくれる相手がいない時に、それでも「寂しい」という自分の感情を優しく自分の二本の腕で抱きしめて慈しむことを、自らの意思で(或いは、意志で)選び取ること、についてです。その時に見える景色は、どのようなものなのでしょうか。

人間は、寂しい生き物だと思います。寂しいからこそ、深い孤独を抱えているからこそ、人間で、または人間的で、あることができるのでしょう。

孤独をしっかりと抱きしめることができた人だけが、大切な人と精神的に強い紐帯をつくることができるのだ、と言う人もいます。確かにそうかもしれません。

でも、人と繋がるための寂しさって、何だか嘘くさく感じてしまいます。人と人とが繋がることがとても素晴らしくかけがえのないものだと、やっと最近になってやっと分かった私ですが、それでも、人と人とが結び付くことに至上の価値を置く考え方には、はっきり言って疑問ばかりを感じてしまいます。

孤独は、孤独のためにあるのでしょう。人と繋がるためにあるとは、必ずしも言えないと思います。

一晩語り明かしても、何度身体を重ねても、人は、ひとりです。

強く抱き合っても、腕から漏れた背中は寒いのです。

私は、悲観的に語っているつもりは全くありません。

優しい孤独もあるでしょう。辛い孤独も、切り裂かれるような痛みを伴う孤独もまた、あるでしょう。

孤独の先を、一人になったその先を、私は見たいのです。多くの場合、人は孤独の厳しさや心地よさに溺れてしまいます。孤独の寂しさを抱え切れないのです。

孤独に対して、勝負を挑む必要はありません。孤独との間に勝ち負けという関係を発生させることは賢明ではありません。

私は、孤独を抱きしめます。寂しい二本の腕で、持てる限りの慈愛でもって、寂しさを、自分の愚かな感情を、抱え続けて歩いて行きます。道の途中で、重たいこの荷物を一緒に運んでくれる人とも、一時的には道連れになるでしょう。拒む必要はありません。でも、結局ずっと一人なのです。

哀しい道を、私は歩きます。そこに不幸はありますが、孤独が故に不幸なのではないのです。

寂しさに耐え切れず、泣いてしまうこともきっとあるでしょう。今までもありました。これからも、たくさんあります。でも、泣いてもひとりです。泣き止んだら、また立ち上がってひとりでゆくのです。

孤独の底から、私は叫びます。繋がりや連帯を求めて。でも、叫ぶ私は、ひとりです。ひとりで叫ぶのです。

自らの孤独と向き合う他の人々との共鳴を求めてしまうのは、私の幼さなのかもしれません。孤独の大地を掘り下げるうちに、私は幾人かの同志と知り合うでしょう。ただ、彼ら/彼女らとの関係も、当然永続する訳ではありません。また、どれだけ深く交わっても、背中の寒さは消えません。

それでいいのです。それが、いいのです。

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学生運動が提起したもの、或いは雑感としての雑感

今年の梅雨の頃に亡くなった私の父は、学生運動をしていた人でした。

父は、所謂「全共闘世代」よりはいくつか年少なのですが、それでも高校生の頃から、自分の通う高校(「当局」にあたるのでしょうか?)を相手に、何らかの交渉事をしたり、受験のために赴いた大学では、受験生でありながらも在学生(大学生)と一緒になって、受験生にビラを配ったりしていたそうです。

やがて関西地方の国立大学に進学すると、2年生時から副委員長か何かを任され、大学全体の運動を指揮したりもしていたと聞きました。

学生運動というものに対して、漠然とではあるものの、強い興味を持っていた私としては、父にいつか学生運動について色々と聞いてみたいと考えていたものの、そもそも父との関係があまり良くなかったので、つい後回しにしているうちに、父は逝ってしまいました。

父に学生運動のことを教えてもらいたかったのに、本当に悔やんでも悔やみきれません。そして、学生運動以外についても、父ともっと話をしたかった、という思いがあることも、ついでながら記しておきます。

また、1年間の浪人生時代に私が通った予備校には、学生運動を経験した講師が在籍していました。表三郎という、英語科の先生でした。彼については、学生運動を「経験した」という生半可なレベルではなく、理論的指導者として「率いた」のでしょうけれど、ともあれ、私は彼の授業がとても好きでした。浪人中に志望校を変えたのも、彼の影響によるものです。今、どうしていらっしゃるのでしょうか?

さて、私と学生運動との個人的な関わりはここまでにして、以下に、学生運動に関して、私が(理詰めで考えていることではなく)何となく感じたり、ぼんやりと思っていることを少し書いてみようと思います。出典らしい出典はありません。

今の日本で学生運動が再び起こることはない、と時々言われます。それはそうだと私も思います。今の社会情勢においてこそ、学生が立ち上がるべきなのかもしれませんが、今の大学生がそういうことを行うようには、少なくとも私には思えません。それが「愚民化政策」とか言われるものによるのかどうかについては、ここでは言及しません。

日本の学生運動は一過性のものでしかなく、ヨーロッパ諸国のそれと違って、制度としての「遺産」と呼べるものを残さなかった、という指摘も当たっているでしょう。学生運動に参加した学生の中に、4年生になるとスーツを着て就職活動を始めた人もいた、という話も聞きました。勿論、食っていくために就職を選んだ彼女/彼を責める気は毛頭ありませんが。

私が言いたいのは、戦後復興のただ中の、種々の社会問題が噴出し始めた1960年代という時代に、当時の学生たち(今と違って、大学進学率も低く、彼女ら/彼らは文字通り「エリート」でした)が命がけで提起した問題群の多くは、21世紀の現在においても、尚、解決されず「問題」であり続けているように思えてならない、ということです。

ただ、こうは書いたものの、私は彼らが提起した問題群が何であったのかを正確に知っている訳ではありません。そして、何となく流されるままに学生運動に参加した当時の学生たちの中にも、運動の目的を知らない者がいたのかもしれません。実際、「可愛い○○ちゃん(女子学生)が参加するらしいから、俺も参加してみようかな」という男子学生もいたようです。

ただ、十全な知識がないにもかかわらず、私は心情として、学生運動家たちに対して妙な親近感を覚えるのです。はっきり言って、私の同世代の人々(30代半ば)や、現在の大学生に対して持つのよりもずっと強い親しみを、父や表先生から聞いたり、本で読んだりした当時の学生たちに、感じるのです。私がずれているだけかもしれませんが。

私が常日頃から感じている問題、つまり、ジェンダーの問題や、日本社会の息苦しさの問題、或いは環境問題などが、恐らく全て、学生運動が提起した問題群の中に、完全な形であったか否かは分かりませんが、そして当時の学生たち(指導者層も含む)にも明確に認識できていたかどうかは定かではありませんが、含まれていたのではないかと思えてならないのです。

上に記したジェンダー、社会の息苦しさ、環境問題について、一つずつ考えを述べます。

ジェンダーの問題が、学生運動が盛んであった時代に、大きなうねりを伴う力強い社会運動になっていたかどうかは浅学にして知りませんが、現在より遥かに注目されていなかっただろうことは想像に難くありません。ストレートの男性である私からすれば、女性との関係をどう構築するかは人生における最大の課題の一つですが、このジェンダーの問題に関して、学生運動が何かを提起していた可能性があるのではないかと考えています。

学生運動の文献や資料を渉猟した訳ではないので、思いつきで書きますけれど、はっきりとジェンダーという語が使われた訳ではなかったでしょうが、人間(両性)がいかに関わり幸福を追求していくのか、ということは恐らく学生運動で提起された問題のはずです。江戸時代までの封建制を脱し、明治憲法下で起こった不幸な2つの大戦を経た後の時代にあって、当時の学生たちにも、人同士がどう関わり合うのが良いのか、ということは大きな関心事であったはずです。

経済の急成長を背景にして、人間の内面に注目が集まる中で、社会の息苦しさにも関心が向けられたと思うのです。ハンコを斜めに「お辞儀させて」押す風習とか、「地毛証明書」を提出させる公立の学校の校則とか、「目上」の人が言ったことに異議を唱えず盲従する文化とか、今なお私たちを苦しめている頑迷固陋な因習に対して、当時の学生たちが批判的にならなかったとは考えにくいのです。その批判が継続されず、制度的遺産にならなかっただけで。

環境問題についても、公害問題がクローズアップされた高度経済成長期に、学生たちが何の興味も示さなかったとは思えません。彼女ら/彼らは、今の学生たちよりもずっと、自分の住む地域との関係の中で自分というものをとらえていたはずです。父も、大学近くの被差別部落内の精肉工場に出向いて、その労働者たちとマルクスの『資本論』の勉強会をした話をしてくれました。現在の学生が、今いるのと違う環境を求める時には、留学しようとするケースが多いでしょうが、海外に出ることが今ほど容易でなく、インターネットもなかった時代の学生運動家たちは、当時なりのやり方で「連帯」を希求していたのでしょう。

以上は、本当に思いつきで記したものです。また、数多くの問題群の中の3つの問題しか取り扱っていません。更に言えば、学生運動には、その中から連合赤軍が生まれたという事実などの、負の側面もあります。美化し過ぎてはいけないことも分かっているつもりです。それでも、学生運動家たちの主張は、あながち間違っていなかっただろうと私は思います。学生運動の提起した問題群の中には、今でいうSDGsの萌芽のようなものがあったのだろうと感じています。

学生運動を経験した「全共闘世代」が亡くなる前に、彼らの経験を少しでも「遺産化」できるよう、聞き取ったり記録したりしておくすることは、今を生きる私たちや未来世代の「人間としての幸福」を追求することに資するものであるだろうというのが、今の私の考えです。

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詩0002:譚詩(バラード)

歪み腐りし水草が
奈落の底へと突き落とさんと

春咲きし花に、
春吹ける風よ

泉に女の息吹が声が

川よ!溢れ返りし叫びよ!
讃えん!母なる大地を…
火吹きし滝壺に、
怒りの制裁を加えん!
永遠に苦しまん彼の尼僧に、
永遠の苦しみを与えん!

嘆ける空よ!神に伝えん!
確かに今にその足元に、
平伏せし我を許し給えと!

雲よ!囁ける雲よ!
常に歌わん!イエスは来んと!
苦しめる民を救い給えと!

地を這える虫けらどもよ!木々に捧げん!
虹色に鈍色に濡れし足跡の…
流るる意志を持ちて、
天に昇れと!

孤高な我よ!友を持たんと!
育てる麦の芽を愛さんと!
高鳴る鼓動をうち止めん!
魂のみで叫び続けん!

狂える雄牛よ!妻に与えん!
若草萌ゆる大海原を!
神は与えん!聖なる牛を!
すり替えしとは何事ぞ!
見よ!天の裁きは今下されん!

海鳥どもよ、そなたらを
監視官にぞ、神は御定め下されん!
飛ばん!日輪の只その中を!
飛ばん!草木の生えぬオアシスを!
対岸に咲けるナルシスの花よ!

ライオンよ!走り駆け飛びつ、する者よ!
ヘーラクレースの喉笛を噛み裂いてくれん!
一切衆生を民と、神と崇めん!

音よ!天地の間に存りし全ての音よ!
叫ばん!風に乗り、もがける野山を、
鍛え争い、醜く太れる豚どもを、
その音のうちに焼き殺さん!

煙草の煙よ!光りし妖しき眼をせし犬を、
三日のうちに銃殺せんと!
神の兵よ!命は下らん!
いざ、故国の河を共に流れん!

…神よ!
…我は、神なり

2001.10.14.

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詩0001:大地揺るがす者達よ

大地揺るがす者達よ、汝等に告ぐ

火の粉を飛ばし黒煙を舐め

朧に映ゆる炎の中に

飛び急ぐさえあはれな雁の

黒き(かばね)は見ゆるのか

嗚呼弟よ君を泣く

相対主義の嵐の中を

泳ぎ切れずに培った

無駄な智識の該博な

君の可愛い口調にさえも

諦めなぞを見出して

黒い歯黒い()黒い髭

黒髪クローン黒人奴隷

汝滅べよ我が喜びを

かき立てかき立て

滅べや滅べ

われときて滅べや親のない雀

 

自註)上は、20年ほど前に作った詩です。フランスの夭折の作家Raymond Radiguetレイモン・ラディゲに憧れて小説家を目指していた高校生の頃に書いたものだと思われます。内容に関しての解説をする気はないのですが、「黒人奴隷」なる語は、「黒人」と称されるアフリカ系の人々が奴隷として扱われていた歴史的事実に言及しただけで、そこに差別的な意図はありません。

自註2)今後、今まで書き溜めていたものの、発表の機会のなかった詩や文章を少しずつ投稿いたします。

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眞子さまと小室圭さんのご結婚を、心から祝福したい。ただし、税金の使途についての納得のいく説明がなされた場合にのみ、ではあるが。

秋篠宮文仁親王のご長女の眞子内親王と、その大学の同級生である小室圭さんのご結婚に関する報道が、連日メディアでなされています。そして、その論調の多くは、小室さん本人や、その家族の過去を取り上げて、小室圭さんは皇族と結婚するにふさわしくない、と断じるものであるようです。

この件に関しての私見を述べます。タイトルにも書きました通り、私は「眞子さまと小室圭さんのご結婚を、心から祝福したい。ただし、税金の使途についての納得のいく説明がなされた場合にのみ、ではあるが」。

以下に、私の考えを解説します。

私は、基本的に、前途ある有為な若者二人の結婚なのですから、心から祝福したいと思います。本当にそう思う。眞子さまも小室さんも、学歴としてもキャリアとしても、本当に素晴らしいものをお持ちです。是非、頑張って頂きたいです。

ただし、一つの条件付きです。これをクリアできないのなら、私は彼らの結婚を祝福しません。

お二人のご婚約から来るべきご結婚までの間に、宮内庁から随分な額の支出がなされているとの報道があります。宮内庁から出たお金は、はっきり言って、税金です。「血税」と言い換えてもいいでしょう。この使途を明らかにし、適切でない使い方がされたお金については、不当に受け取り利益を受けた人物から、宮内庁宛に返還される必要があるでしょう。また、小室さんに関する他の疑惑を、気にかけるべきは眞子さまだけであって、眞子さまが問題視しないのならば、小室さんの疑惑群は、何ら問題ではないはずです。

ただし、税金の使途を明らかにさせる権利と、問題のある支出がきちんと返還されたことを確認する権利は、納税者である国民全員にあるはずです。私はそれを行使したい。

税金の使途の問題がクリアにならなくても、お二人のご結婚は、法的には成立するでしょうが、私としては、気持ちの上で、祝福するつもりにはなりません。

税金の使途を、どうか明らかにして下さい。そうすれば、お二人のご結婚をお祝いしたいと思える人の数が、きっと増えるはずです。

ここからは、少し脱線して、下世話な話をします。

報道を見ている限りにおいて、小室さんという人は、随分と疑惑を生む行動を取っているようです。勿論、あくまで疑惑ですので、調査した結果、小室さんには何ら問題はなかった、ということもあるでしょう。そうであってほしい。

でも、これだけ叩かれている小室さんとの結婚を、眞子さまは望んでいらっしゃる訳です。別の言葉で言えば、眞子さまは、こんなにも問題のあるとされる男性のことが、好きで好きで堪らない訳です。これ程までに麗しい話があるでしょうか?

皇族の方の話題なので、引き合いに出すのが適切かどうかは分かりませんが、ダメ亭主に尽くすお嬢様、みたいな古典落語によくありそうな設定です。

しかし、何故、眞子「さま」と平仮名で表記するのでしょうか?雅子「さま」も愛子「さま」も、「様」という漢字の表記にしないのは何故なんでしょうか?あと、眞子「さん」ではいけないのでしょうか?

話が逸れましたが、この国では、本人同士の合意があれば結婚できます。その合意はもう達成されているようです。あとは、税金の使途についての納得のいく説明がなされれば、私という国民は、お二人のご結婚を心から祝福することができます。早く、お祝いできるような環境が整うことを強く望みます。

私は、他人の幸せを、素直に祝福できる自分でありたいのです。