カテゴリー
未分類

ウクライナにいる私の友人へ

そちらはとても寒いでしょうね。

まだ会ったことのない君に、これからも会うことのないかもしれない君に、それでも手紙を書かずにはいられないので、私はウクライナ語もロシア語もできないけれど、私の考えを一番に乗せてくれる言語で、君への思いを綴ります。

世界の、これ以上の劣化に対して毅然とノーを唱えることは、人間の義務であると考えるからです。

日本は今、早朝です。内向きな若者が増えたと言われるこの国にも、君や君の祖国を思って憤り泣く人々がいます。私もその一人です。しかしそうは言いつつも、私たち人間はまた、善意で悪行をなし得ます。君や君の祖国のためと謳いながら、そして本当にそう信じていながらも、どうすれば大切な友人に平和と安寧を届けられるのかを正確に考えることができないままに、却って君や君の祖国に対して更なるダメージを与えてしまっている人々がいることも否定できません。憤るにも泣くにも、心配するにも援助するにも、それ相応のやり方があるのです。

さて、日本の戦国武将に、織田信長という人がいました。その人から数えて16代目の直系の子孫が、織田信成というフィギュアスケートの元選手です。君も、彼のことを知っているかもしれませんね。信成さんは、感情豊かな人で、少し高い声で話し、よく涙を流します。先般見たテレビ番組で、彼の先祖にあたる信長は、当時の文書によると、すぐに腹を立てて甲高い声で怒鳴る人であったそうです。また、信長の肖像画は、子孫である信成さんによく似ているのだそうですが、その頭蓋骨の形から推測される声質はかなり高いものであったそうです(文書の記述と合致しますね)。人間の声というのは頭蓋骨に共鳴させて発するものなのだそうで、頭蓋骨の形からある程度まで声質を推測できるのだそうです。

ということは、今から400年前に織田信成さんに似た人が天下統一を目指す武将としてこの国にいたと考えることができます。見た目も、声質も、そして恐らく感受性豊かなところまでも似通った武将が、織田信長と名乗って、天下布武とか楽市・楽座とか言っていた訳です。もっと勝手な空想をすれば、400年前経っても内面も外見もあまり大きくは変わらないのならば、800年経っても、1200年経っても、現代の私たちとそう大きくは変わらない人々が、この国に生きていたと考えることができます。

1200年前といえば、私の住む古都に都があった頃です。と考えると、私のように大柄で骨太で偏屈で、でも寂しがり屋な男性がこの国に住んでいたのです。そしてきっと、男の考えることなんて昔も今も、「腹減ったな」とか「仕事だるいな」とかいったことでしょう。もっと言えば(ここから先は、フェミニストには批判されることでしょう。問題を含んだ考え方であることは私も認めます。そして、改めてゆきたい考えであることも述べておきます。上に書いたように「善意で悪行をなしている」意見かもしれません。ただ、自分と遠く離れた時代に生きた人に対する想像力を駆使するための、極めて卑近な私なりの提案だと思ってお読み下さい)、毎日「〇〇ちゃん可愛いな」とか「△△さんはスタイルいいな」とか「××したいな」とかばかり考えていたことは想像に難くありません。私はいつも都の跡を通るたびに、この場所で暮らしていた1200年前の自分の視点を想像します。

こうやって、自分で簡単な「補助線」を引くことで、人の想像力は容易に翼を得ます。内向きな人間も、その場にいながらにして、君の祖国に住むことができます。戦火の消えない、愛しい大地に、来年のための種を蒔くことができるはずです。

今、足りないのは、そして最も強く求められているのは、人間の想像力です。想像力を駆使しないのは、人間の叡智に対する許しがたい冒涜です。知性に裏打ちされた想像力を、人間を人間たらしめるそれを、今こそ結集する時です。今より少しでも人が人に優しくなるために、世界をわずかにでも豊かにするために、私たちは、今この瞬間に、学びを祈りを、そして具体的な行動をとめてはなりません。

日本では(主に東日本以西のようですが)、春になると、門出や旅立ちを祝うかのように桜の花が咲きます。君の国にも、綺麗な桜が咲きますように。私たちは、いつも君と君の祖国とともにあります。

君の長い返信を、心待ちにしています。

君の日本の友人より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です