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学生運動が提起したもの、或いは雑感としての雑感

今年の梅雨の頃に亡くなった私の父は、学生運動をしていた人でした。

父は、所謂「全共闘世代」よりはいくつか年少なのですが、それでも高校生の頃から、自分の通う高校(「当局」にあたるのでしょうか?)を相手に、何らかの交渉事をしたり、受験のために赴いた大学では、受験生でありながらも在学生(大学生)と一緒になって、受験生にビラを配ったりしていたそうです。

やがて関西地方の国立大学に進学すると、2年生時から副委員長か何かを任され、大学全体の運動を指揮したりもしていたと聞きました。

学生運動というものに対して、漠然とではあるものの、強い興味を持っていた私としては、父にいつか学生運動について色々と聞いてみたいと考えていたものの、そもそも父との関係があまり良くなかったので、つい後回しにしているうちに、父は逝ってしまいました。

父に学生運動のことを教えてもらいたかったのに、本当に悔やんでも悔やみきれません。そして、学生運動以外についても、父ともっと話をしたかった、という思いがあることも、ついでながら記しておきます。

また、1年間の浪人生時代に私が通った予備校には、学生運動を経験した講師が在籍していました。表三郎という、英語科の先生でした。彼については、学生運動を「経験した」という生半可なレベルではなく、理論的指導者として「率いた」のでしょうけれど、ともあれ、私は彼の授業がとても好きでした。浪人中に志望校を変えたのも、彼の影響によるものです。今、どうしていらっしゃるのでしょうか?

さて、私と学生運動との個人的な関わりはここまでにして、以下に、学生運動に関して、私が(理詰めで考えていることではなく)何となく感じたり、ぼんやりと思っていることを少し書いてみようと思います。出典らしい出典はありません。

今の日本で学生運動が再び起こることはない、と時々言われます。それはそうだと私も思います。今の社会情勢においてこそ、学生が立ち上がるべきなのかもしれませんが、今の大学生がそういうことを行うようには、少なくとも私には思えません。それが「愚民化政策」とか言われるものによるのかどうかについては、ここでは言及しません。

日本の学生運動は一過性のものでしかなく、ヨーロッパ諸国のそれと違って、制度としての「遺産」と呼べるものを残さなかった、という指摘も当たっているでしょう。学生運動に参加した学生の中に、4年生になるとスーツを着て就職活動を始めた人もいた、という話も聞きました。勿論、食っていくために就職を選んだ彼女/彼を責める気は毛頭ありませんが。

私が言いたいのは、戦後復興のただ中の、種々の社会問題が噴出し始めた1960年代という時代に、当時の学生たち(今と違って、大学進学率も低く、彼女ら/彼らは文字通り「エリート」でした)が命がけで提起した問題群の多くは、21世紀の現在においても、尚、解決されず「問題」であり続けているように思えてならない、ということです。

ただ、こうは書いたものの、私は彼らが提起した問題群が何であったのかを正確に知っている訳ではありません。そして、何となく流されるままに学生運動に参加した当時の学生たちの中にも、運動の目的を知らない者がいたのかもしれません。実際、「可愛い○○ちゃん(女子学生)が参加するらしいから、俺も参加してみようかな」という男子学生もいたようです。

ただ、十全な知識がないにもかかわらず、私は心情として、学生運動家たちに対して妙な親近感を覚えるのです。はっきり言って、私の同世代の人々(30代半ば)や、現在の大学生に対して持つのよりもずっと強い親しみを、父や表先生から聞いたり、本で読んだりした当時の学生たちに、感じるのです。私がずれているだけかもしれませんが。

私が常日頃から感じている問題、つまり、ジェンダーの問題や、日本社会の息苦しさの問題、或いは環境問題などが、恐らく全て、学生運動が提起した問題群の中に、完全な形であったか否かは分かりませんが、そして当時の学生たち(指導者層も含む)にも明確に認識できていたかどうかは定かではありませんが、含まれていたのではないかと思えてならないのです。

上に記したジェンダー、社会の息苦しさ、環境問題について、一つずつ考えを述べます。

ジェンダーの問題が、学生運動が盛んであった時代に、大きなうねりを伴う力強い社会運動になっていたかどうかは浅学にして知りませんが、現在より遥かに注目されていなかっただろうことは想像に難くありません。ストレートの男性である私からすれば、女性との関係をどう構築するかは人生における最大の課題の一つですが、このジェンダーの問題に関して、学生運動が何かを提起していた可能性があるのではないかと考えています。

学生運動の文献や資料を渉猟した訳ではないので、思いつきで書きますけれど、はっきりとジェンダーという語が使われた訳ではなかったでしょうが、人間(両性)がいかに関わり幸福を追求していくのか、ということは恐らく学生運動で提起された問題のはずです。江戸時代までの封建制を脱し、明治憲法下で起こった不幸な2つの大戦を経た後の時代にあって、当時の学生たちにも、人同士がどう関わり合うのが良いのか、ということは大きな関心事であったはずです。

経済の急成長を背景にして、人間の内面に注目が集まる中で、社会の息苦しさにも関心が向けられたと思うのです。ハンコを斜めに「お辞儀させて」押す風習とか、「地毛証明書」を提出させる公立の学校の校則とか、「目上」の人が言ったことに異議を唱えず盲従する文化とか、今なお私たちを苦しめている頑迷固陋な因習に対して、当時の学生たちが批判的にならなかったとは考えにくいのです。その批判が継続されず、制度的遺産にならなかっただけで。

環境問題についても、公害問題がクローズアップされた高度経済成長期に、学生たちが何の興味も示さなかったとは思えません。彼女ら/彼らは、今の学生たちよりもずっと、自分の住む地域との関係の中で自分というものをとらえていたはずです。父も、大学近くの被差別部落内の精肉工場に出向いて、その労働者たちとマルクスの『資本論』の勉強会をした話をしてくれました。現在の学生が、今いるのと違う環境を求める時には、留学しようとするケースが多いでしょうが、海外に出ることが今ほど容易でなく、インターネットもなかった時代の学生運動家たちは、当時なりのやり方で「連帯」を希求していたのでしょう。

以上は、本当に思いつきで記したものです。また、数多くの問題群の中の3つの問題しか取り扱っていません。更に言えば、学生運動には、その中から連合赤軍が生まれたという事実などの、負の側面もあります。美化し過ぎてはいけないことも分かっているつもりです。それでも、学生運動家たちの主張は、あながち間違っていなかっただろうと私は思います。学生運動の提起した問題群の中には、今でいうSDGsの萌芽のようなものがあったのだろうと感じています。

学生運動を経験した「全共闘世代」が亡くなる前に、彼らの経験を少しでも「遺産化」できるよう、聞き取ったり記録したりしておくすることは、今を生きる私たちや未来世代の「人間としての幸福」を追求することに資するものであるだろうというのが、今の私の考えです。

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