病時の言動に現れるのは、その人の本質ではなく、病気に助長された欠点のみである。
…といきなりぶち上げられても困りますね。totteruです。
随分と久しぶりの更新になってしまいました。その理由は追々書くとして、今日のテーマと結論は、タイトルの通りです。
勿論、これだけでは何のことやら分かって頂けないでしょうから、以下にご説明致します。
「病時」と言いましても、双極性障害のtotteruの書くことですから、病気一般に罹患した時を指す訳ではありません。双極性障害をはじめとする精神疾患時のことだ、とご理解下さい。さて、そうした時の言動には、残念ながら、常軌を逸したものが本当に多いです。精神的及び肉体的な自傷行為や、他人を傷付ける暴言・暴力など…。そして、これらの言動を見て、「あいつは自分を責めてばかりいる馬鹿な奴だ」とか「暴力的な言動を取る危険な輩だ」などの評価を下すことを、多くの場合、私共はためらいません。何故か、病時の言動にその人の本質や本性が見えるものだと、私共は信じ切っています。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
実際totteruも、つい最近まで「病時の言動にはその人の本質のみが現れる」とばかり考えていました。そして、過去(もう10年にもなります)に躁状態の自分が吐いた、他人の身体的特徴を論難する無数の罵詈雑言を思い返しては、「私は、他人をあのように言ってしまう、そういう人間でしかないんだ」と、自らを何度も何度も強く蔑みました。
でも、最近、亡母のある言葉を思い出した時に、totteruの考えは大きく変わりました。
それが、具体的にいつのことだったかまでは忘れてしまいましたが、母の病気が大分進んでいた頃のことだったと記憶しています。一度だけ母に頼んでカウンセリングに付いて来てもらって、カウンセラーさんと話した時のことでした。totteruが、ある相手と毎日何度も怒鳴り合いをし、それが数週間続いた、という話をし、これは躁状態だったのか否か、と言うと、普段は穏やかな母が珍しく強い口調で、即座に、それは病気のせいに違いない、と言ってくれたのです。「この子はそんなことをする子じゃありません」、とも。
ただの親馬鹿発言と取れなくもありません。
また母は、怒鳴り合いの現場に居合わせた訳でもありません。実情を知らないのです。
しかし、totteruはとっても嬉しかったのですね。
とは言え、totteru自身が自分を「そんなことをする子じゃない」と信じられるまでには更に数年の歳月を要しました。母のように強く強く信じることはまだ出来ないにしても、ある程度自分のことを肯定できるようになった時、躁状態で錯乱して暴言を吐きまくっていた過去の自分を、自分の本質を体現したものではなく、端的に言えば「病気でおかしかった自分」と考えられるようになったのです。
そこから考えを進め、自分の長所が病気のために鳴りを潜めて、或いは長所は病気に奪われて、短所・欠点ばかりが、目立ったり病気に付け込まれて助長されたりしてしまうのではないか、と考えるに至りました。
これでようやくタイトルの解説が出来ましたが、上記は都合の良い考えだ、とか、虫が良過ぎる等といった声もあろうかと思います。病気のせいでおかしくなった等というのは無責任で、病時にこそ、その人の本質が出るのだ、とお考えになる方も或いはあるかもしれません。
どちらの考えがどの理由のために正しい、等とはtotteruには言えません。
しかし、当事者としてtotteruが申し上げたいのは、こういう考え方をして自分の暗部を自分からしっかり確実に切り離してしまわないと、生きていけない人が確かにいる、ということです。